1293. メス猫は泥棒猫か
ベルゼビュートは浮かれていた。愛しい婚約者エリゴスは優しいし、自分を大切にしてくれる。これなら何度も結婚したアスタロトの気持ちも理解できるわ。でも私はエリゴスだけいればいいのよ。軽やかなステップで魔王城の廊下を抜けていく女大公を見送り、侍女達は肩を竦めた。
浮かれる彼女だが、別に結婚願望が今までなかったわけじゃない。当然何度か婚約まで漕ぎつけたことはあった。ピンクの巻き毛や瞳が示す通り、ベルゼビュートの魔力量はかなり多い。日焼けしづらい肌は常に白く、スタイルだって見事なものだ。賭けが好きなのが玉に瑕だが、それでも望んでくれる男性はいた。
結婚まで至らなかった一番の理由は、ベルゼビュート自身にあった。圧倒的な強さで、強烈な魔王信者なのだ。あり得ない例えを持ち出すなら、崖にぶら下がる魔王と恋人の片方を助けるとしたら魔王を選ぶ。そこに彼女の信念があった。当然だが、恋人達はそこに納得できない。
目の前で恋人と魔王が刺されそうになったら、魔王の盾になって自分が受ける。その覚悟は臣下として非常に立派だが、妻に相応しい素質かと問われたら、ほとんどは首を横に振るだろう。魔王自身が圧倒的な強さを誇っていても、ベルゼビュートにとって魔王は最上位だった。
「今なら、ルシファー様よりエリゴスを選べるかも」
そんな呟きが出るほど、彼女は今の婚約者に夢中だった。恋愛感情はない主君ルシファーも祝福してくれた最高の恋人だ。早く部屋に戻って、膝枕をしてもらおう。歌を口遊びながら、ベルゼビュートは自室の扉を勢いよく開いた。ノックはない。
「え?」
「……はっ?」
お互いに見つめ合った後、動きが固まった。いつも仲良く並んで眠るベッドに腰掛けたエリゴスの膝の上に、見知らぬメスがいる。見覚えはない。エリゴスの家族でもないと思う。選択肢を徐々に狭めながら、震える声でベルゼビュートは問うた。
「その子、誰?」
「えっと、迷い猫」
「泥棒猫じゃなくて?」
私のエリゴスの膝を奪った。ベルゼビュートの髪がふわりと空中に舞う。今日は久しぶりに巻き毛にしていたので、綿菓子のようなピンク色が感情に従い逆立った。浮気されたの? 私の婚約者なのに、もうすぐ結婚式なのに!!
唇を噛みしめた途端、エリゴスが泣きそうな顔をした。立ち上がった彼の膝から猫が転げ落ち、抗議するが無視して近づく。精霊女王の魔力は近づく者を排除しようと、ぱちぱちと音を立てた。痛むだろうに手を伸ばし頬に触れたエリゴスの指が、ベルゼビュートの唇をなぞった。
「噛んだら傷になってしまう、愛しい人。それくらいなら私に攻撃してください」
思わぬ愛の言葉と、猫を乱雑に扱った様子に、勘違いだと気づく。安心して膝から力の抜けたベルゼビュートを、エリゴスは受け止めた。腰に手を回して抱き上げ、ベッドの上に横たえる。乱れてしまったピンクの髪を手櫛で直しながら、涙ぐんだ彼女の頬や顳に口づけた。
「もしかして、嫉妬? 嬉しいです」
ぎゅっと抱き締められて、ベルゼビュートは焦った。豊かな胸に顔を埋める彼に混乱して、迷った末に強く抱く。さらに顔を埋めて窒息寸前まで追い込んだ後、ベルゼビュートは小さな声で謝った。勘違いで大変な騒動を起こすところだったわ。しょんぼりした彼女にエリゴスは微笑む。
「私があなたを裏切ることはないし、それくらいなら殺してください。ベルゼを愛しています」
偶然迷い込んだ猫を撫でただけのエリゴスだが、今後は勘違いさせる行為に注意しようと決めた。嫉妬したベルゼビュートは愛らしいが、泣かせたいとは思わないから。
「……人騒がせな」
文句を言って扉の隙間をそっと閉じたのは、通りがかったベールだった。浮かれたベルゼビュートに仕事を頼もうと追いかけたところ、偶然見てしまった痴話喧嘩もどき。見なかったと自分に暗示をかけて、この場を後にした。
――ベルゼビュートとエリゴスの結婚式まで、あと5日。
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