1101. 知らぬが仏のすれ違い

「転職しようかな」


 アベルは魔王チャレンジでもらった剣を振りながら、ぼやいた。スケルトン騎士が稽古する中に混ぜてもらったのだが、書類運びより向いている。勉強はそれなりに出来たが、好きではなかった。危険を伴うとしても、体を動かす方がいい。


 上司に当たるアスタロト大公が戻ったら相談しよう。稽古にも自然と力が入る。うっかりスケルトン騎士の肋を数本折ってしまい、慌ててエルフに治してもらった。この場合の骨接は修理なのか、治療なのか。そんな話題で彼らと盛り上がりながら、休憩に入った時だった。


 青ざめたアスタロトが横切り、呼びかけようとしたアベルは動きを止めた。本能が告げている。今は近づいてはいけない。息を潜めろ。そう警告する感覚に従い、元勇者アベルは出来る限り小さくなってやり過ごそうとした。しかしスケルトンの群れに人族が混じれば、かなり目立つ。


「アベル?」


 見つかってしまった。びくりと肩を振るわせたものの、無視も出来ない。アベルにとって、未来の義父になる予定の人だ。ルーサルカと婚約関係にある以上、避けて通れない相手だった。


「アスタロト大公閣下。お久しぶりです」


 日本人必須アイテムの愛想笑いで応じた。疲れた顔をしたアスタロトが少し考え、アベルの腕をいきなり掴んだ。


「ちょっと付き合いなさい」


「え、あ、いや……でも、あの」


 咄嗟に断れず、引きずられて行く。そんなアベルに、骸骨姿のスケルトン達が両手を合わせた。シュールな絵に、エルフ達は見なかったことにして剪定作業に戻った。


 アスタロトに捕まったアベルは、大公の執務室のひとつで小さくなっていた。最初の頃に殺されそうになったこともあり、とにかく苦手意識が強い。恐怖心はなかなか克服できず、ルーサルカの婚約者に収まった今でも怖いのが本音だった。


「……ルカに、勘違いされました」


「はぁ」


 溜め息ではなく情けない相槌である。うっかり「そうですか」とも言えない。「大丈夫ですよ」なんて安請け合いも危険だった。この世界は前の日本と違って、簡単に首が飛ぶのだ。物理的に首を落したくなければ、強者に逆らったり機嫌を損ねてはいけない。


 そこから、ぽつぽつとアスタロトが語る話は珍しく感情的なものだった。筋が通っていないわけではないが、順番が多少おかしい。理性的な人なのに混乱してるんだな。休暇で温泉に入った話はただ羨ましい。そこへ美女の同僚が裸で乱入――鼻血出そうな案件ですね。ルシファーとリリスに見つかったところで「なんで?」と突っ込んでしまった。


 あの2人は騒動によっていく磁力でも持ってるのか? 普通、側近が風呂に入ってる時間に自分達が入ろうとしないだろう。中に誰もいないか確かめてから準備するだろうし、そもそもアスタロト大公が入ってたら近づかないんじゃないか。


 妙な部分に気づいてしまった。ベルゼビュート大公の性格からして、彼女は演技ができるタイプじゃない。でもってリリス姫も同じだ。魔王様、もしかしてわざとアスタロト大公に風呂を勧めた? いや、悪戯にしても手が込んでる。


 違う方向へ進む考えに唸るアベルの姿を、真剣に考えてくれているとアスタロトは好意的に受け取った。思っていたより、いい子かも知れませんね。異世界から来た人族というだけで、色眼鏡で見ていたのでしょうか。変な偏見はないつもりでしたが。


 反省するアスタロトと、予想外の想像で悩むアベル。すれ違っているのに、彼らの様子はなぜか噛み合った。冷たい人だと思っていたけれど、他人だけじゃなく自分にも厳しい人なのだろう。騙されて娘に叱られた可哀想な父親像を抱いたアベルは、アスタロトに協力を申し出た。


「僕からルカに話してみます。きっと誤解は解けますよ」


 自主的に協力を申し出た義娘の恋人へ、アスタロトは「頼みます」と小さく呟く。まさか動いてくれるとは。そこまで期待して愚痴ったわけではなく、ただ吐き出したかったのだが……彼ならばルーサルカを任せられるかも知れません。


 知らぬが仏――思わぬところで、2人は互いへの認識を改めた。

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