1102. 意外な裏事情あり

「ねえ、どうしてベルゼ姉さんが入るのを知ってるのに止めなかったの?」


「うん? 気づかれちゃったか」


 苦笑いするルシファーの隣で湯船に座り、リリスはこてりと首をかしげる。一応露天風呂なので、薄衣着用させたが……逆に目の毒だった。魔王城で一緒に風呂に入る際は裸である。中途半端に隠れた方が恥ずかしいから、次はやめさせよう。


 結界でも張って隠した方がいい。ルシファーはそんな決意をしながら、上を見上げた。空はもう夕暮れを過ぎて星が瞬く時間だ。夜空と呼ぶには明るく、深い青がとても美しかった。


「アスタロトに眠る時間を、数年ほど用意しようと思ったんだ」


 眠らせたと思えば騒動が起きて、アスタロトを目覚めさせてしまった。人族との戦で魔力が暴走したのも、すべて眠りが足りていないからだ。多少強引でも眠らせるつもりだった。ベルゼビュートは本能的にそういう異常を察するから、気づくかと思って仕掛けたが……まさかの無反応に終わる。完全に当てが外れた状態だ。


 5万年ほど前は、不調に気付いたベルゼビュートがアスタロトを殴り、昏倒したところを棺に閉じ込めた。あれの再現を狙ったのだが、失敗だ。あの時は棺に釘まで打って地面に埋めていた。やり過ぎでベルゼビュートが叱られたのは言うまでもない。


「姉さんの裸見るのと関係あるの?」


「眠らせてくれると考えたんだが、失敗だな。ちなみにベルゼは出会ってからいつも裸だったぞ」


 言い含めて洋服を着用させるのに1万年ほどかかった。その間はずっと裸で過ごしていた。思いがけない告白に、リリスが唸る。


 精霊女王は実体をもつ精霊だ。本来の精霊は半透明で、実体を持たない。魔力の塊と呼ぶべき存在だった。そんな精霊の頂点に立つ濃い魔力を保有するベルゼビュートは受肉したが、感覚は精霊のまま。半透明の体の感覚が強く、自分が誰かに見られることを意識しない。そのため裸で出歩いてよく騒動を起こした。


 ルシファーの説明により事情がわかったものの、何となく複雑な感情が残る。苦い草を噛んだような顔で、リリスは唇を尖らせた。


「ベルゼ姉さんは胸が大きいわ」


「そうだな」


 言われてみればそうかもしれない。その程度の相槌だが、リリスの唇はさらに突き出される。アヒルの嘴のような赤い唇に、ルシファーが指を押し当てた。押し戻す動きに、リリスが素直に従う。


「リリスは大きい胸が欲しいのか?」


「ルシファーが好きかと思ったの」


 薄衣に包まれた胸はほんのり膨らんでいるものの、大きいとは言い難い。微妙なサイズだった。あまり気にしたことはなかったが、もっと大きく育てた方がいいのだろうか。育て方は誰に聞けば……性教育をしてくれたアンナも大きくなかった。アデーレなら、何かいい方法を知っているかも。


「……ベルゼの胸を見て興奮したことはないぞ。大きすぎて重そうだと思った程度だ」


 あんな肉の塊を胸につけていたら、剣を振り回すのも不便だ。足元も見づらいし、階段だって危ない。使えるのは手をつけずに転んだ時くらいか。


 色気も素っ気もないルシファーの返答に、リリスの機嫌が直る。胸は大きくなくてもいい。ルシファーが抱っこしやすい今のままが一番ね。


「そう、それならいいの」


「リリスが一番だよ」


 微笑む婚約者を褒めながら、ルシファーは心の中で精神統一を始めていた。過去の魔王史の本を頭の中で捲りながら、意識を逸らす。魔王の魔王が反応したら事件である。リリスにしか反応しないので、他者に対して暴走する危険は皆無だった。その分、リリスに関しては反応が顕著だ。


 視線の先の星を数えてみたり、湯船の湯量の計算をしてみたりと、見た目より忙しい魔王ルシファーである。そんな苦労を知らず、リリスは嬉しそうに腕を絡めた。ほんのり膨らんだ胸が腕に押しつけられる。


「ん゛んっ!」


 奇妙な声を上げたルシファーが前屈みになるのを、リリスは不思議そうに見つめてから微笑んだ。知らぬは当人ばかりなり。女性の精神的成長が早いことを知らない魔王は、反応しそうな魔王を宥めるのに手一杯だった。

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