1103. 勇者の痣の行方

 騒ぎが大きかった温泉休暇も一段落し、ルシファー達は魔王城へ戻ることになった。大公女達は一斉に休みを与えられ、実家がある領地や婚約者の家に滞在する予定だ。シトリーは温泉街に残り、レライエは実家に翡翠竜を連れて帰るらしい。ルーシアは婚約者のジンと約束があった。


 屋敷の門で手を振って別れ、ルーサルカは一度魔王城まで帰るという。義理の父母が魔王城にいるし、婚約者に収まったアベルも魔王城勤めだった。アスタロトの領地に戻るにしても、城まで戻った方が動きが早い。転移で中庭に現れた一行は、すぐに取り囲まれた。


「魔王陛下ですね?」


「他に誰に見えるんだ」


 呆れたと呟くが、駆け寄ったベールが慌てて周囲を散らした。


「問題ありません。この魔力は陛下です」


 ベールが保証したことで、周囲は安心した様子で一礼して詫びた。特に攻撃されたわけでもないので怒ってないが、恐縮しきりの衛兵達を「ご苦労」と労って解散させる。


「事情がわからん」


「変よね。ルシファーの外見なんて、いつも真っ白なのに」


「……リリス、もう少し表現を、その……変えてくれないか」


 真っ白って個性がないみたいな言い方しなくても。しょんぼりした魔王ルシファーは、苦笑いしたベールに回収された。イポスやルーサルカもきょとんとしているが、慌てて後を追う。通された執務室には、肩を落としたルキフェルがいた。


「何か爆発したのか」


 また研究室を吹き飛ばして、貴重な資料が焼けたのだろう。そんなニュアンスで話しかけると、ルキフェルは緊張した面持ちで報告書を差し出した。受け取ると厚い。開く前に他の話を片付けよう。


「ルーサルカは現時点をもって、休暇だ。お疲れ様。イポスも休んでいいぞ。半月は魔王城から出ない予定だし、出るときはヤンもいる」


 入れ替わりで休暇を取れと命じられ、イポスは迷いながらも頷いた。休みの予定を尋ねるリリスに、父親とゆっくり過ごすと告げる。婚約者も大切だが、父であるサタナキア公爵と過ごす時間も大事にしたい。そんなイポスの言葉に、リリスは微笑んで「素敵ね」と後押しした。


 彼女達が部屋を辞するのを待って、リリスを膝に乗せる。それから報告書の束を開いた。ルキフェルは俯いて暗い。ベールが心配そうにしながらも、お茶を淹れ始めた。


 香りは高いが色の薄い花茶を注ぐ。中に乾燥させた花が浮いているのを見つけ、リリスが喜んだ。鮮やかな赤の花びらを見ながら、ゆっくり口をつける。微笑んでリリスの黒髪を撫で、ルシファーは続きに目を通した。


 しんとした部屋の空気を、報告書を読み終えたルシファーの声が変えた。


「これはどういうことだ?」


「僕にも分からない。でも実際に存在する。ベルゼビュートも計算し直したし、調査結果も間違いない」


 互いに主語を避けた話がわからず、リリスがこてりと首を傾げた。反対側でベールも静かに息を吐き出す。また沈黙が落ちそうな部屋で、今度はリリスが声を上げる。


「どうしたの?」


 尋ねる響きに「私に教えてくれないなんてズルい」と滲ませる。迷ったのは僅かだった。リリスは魔王妃になる女性だ。魔の森の娘である彼女に隠す必要はなかった。


「勇者を覚えてるか」


「アベル?」


「リリスも昔そうだった。左手に痣があっただろう」


「ええ。でも消しちゃったわ」


 一度死んだことでリセットされた。勇者ではなくなったリリスの代わりに、再び人族に勇者が現れた。それが召喚された異世界人のアベルだ。寿命が短い人族に勇者が現れる確率が高いが、魔族にも出現していたはずだ。以前はそこで話が途切れた。


 魔王と勇者は対である――いつの間にか、誰もが知る文言になった。だから人族は原始の種族のひとつだと思われ、騒動を起こしても滅ぼされず存続し続けた。しかし違うとわかり、先日ほぼ全滅させたのだ。


「今の勇者はアベルで、今も痣があるんでしょう?」


 無邪気に尋ねたリリスへ、否定も肯定も出来ないルシファーが言葉を飲み込んだ。

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