1179. いつも説明が足りない

 リリスは順調に進む。追いかけるルシファーの前で、彼女は大木の前に降り立った。大木に寄り掛かる彼女の体が、するりと内側へ取り込まれた。


「リリス?!」


 ぱさっ、乾いた音を立ててリリスのワンピースが落ちる。大木に触れるが、ルシファーが中に入る手段がない。中にリリスがいるため、強制的に割るわけにもいかなかった。見上げた木は古くから根を下ろしていたのだろう。太い幹はルシファーが抱えきれない。


「ルシファー様?」


「あら……あらぁ」


 木の幹にしがみ付くルシファーを見た側近達の反応は、完全に分かれた。この人大丈夫だろうかと心配するアスタロトと違い、ベルゼビュートは真っ赤な顔を両手で包む。何か激しい誤解を生んでいる気がする、主にベルゼビュートの方に。


「リリスがっ!」


「襲って逃げられちゃったのね、いやん」


 的外れな遮り方をしたベルゼビュートに、ルシファーの巨大な溜め息が向けられた。


「話を聞け、リリスがこの木に吸い込まれた」


「だから、逃げちゃったんでしょ?」


 話が噛み合わず苛つくルシファーに対し、ベルゼビュートはきょとんとしている。呆れ顔のアスタロトが通訳に入った。


「リリス様がこの中にいる、それが逃げたとはどういう意味ですか? きちんと説明しなさい、ベルゼビュート」


「もう! リリスちゃんは魔の森の娘でしょ。この森はお母さんだもの。襲われて、逃げ込んだのかと思ったのよ」


 やれば出来る。ベルゼビュートも説明は出来るのだ。ただ途中経過を省いて結論を突きつけるのが、大きな欠点だった。そしてその意味で、いつも振り回されるのはルシファーだ。リリスも説明を省く点では、ベルゼビュートと大差なかった。


「……襲ってないのに逃げ込まれたのか?」


 愕然とするルシファーは、抱きついた木から離れない。その右手に握ったワンピースをリリスに返し、彼女を連れ帰りたいのだ。リリスが最後に立っていた場所に残る靴を拾ったアスタロトが、そっと魔王に差し出す。気の毒そうな顔をされ、ルシファーの焦りはさらに増した。


 なんだ、その帰ってこない人を待ち侘びるみたいな同情は……不要だぞ。リリスはちゃんと帰ってくる。睨みつけて受け取った靴を収納へ入れた。ワンピースも迷った末に収納する。代わりに彼女を包み込むための大きなタオルを取り出した。


 服を残して中に吸い込まれたのなら、出てくる時は服を着ていないだろう。彼女の裸体を誰かの目に触れさせる気はない。


「そういえば、前にリリス様が復活された際も……服を着ておられませんでしたね」


 人族を攻撃したあの日、蕾を選択したルシファーの前からリリスが消えた。狂った魔王を食い止めようと命を張ったのも、今になれば懐かしい話だ。あの場に戻ってきた成長したリリスは、確かに……。


 ぽっと顔が赤くなる。ルシファーの様子に「思い出しちゃったのね」とベルゼビュートが笑った。森の木々ともっとも親和性が高いベルゼビュートが落ち着いているのだ。リリスは一時的に里帰りしただけ。きっと森の事情を確認しに行ったんだろう。気持ちを落ち着けようと深呼吸するルシファーが動いたとき、何かが落ちた。


 はらりと揺れて緑の上に落ちた小さな布は、真っ白だった。ハンカチだと思い、拾ったアスタロトが固まる。その様子に気づいたルシファーが視線を落とし……慌てて奪い取った。


「お前は何も見なかった、いいな?」


「わかっております。ご安心ください。何も見ておりません」


 そう答えなくては、ルシファーはアスタロトの目を抉ると言い出しただろう。拾った布は、リリスの下着だった。


 そういえば今日は白を着用していたな。着替えを手伝ったルシファーは思い返しながら、収納ではなくポケットにねじ込んだ。

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