1041. 記憶にない、は通用しない

 動物が飢える現象は、各地から報告された。魔獣からの報告が多く、捕まえた獲物がガリガリに痩せており、哀れすぎて逃した話まであった。


「動物を数匹捕まえて確認したけど、食事はしてるんだよね」


 ルキフェルが唸る。食べずに飢えたのなら話は簡単で、備蓄食糧を外へばら撒けばいい。しかし食べても痩せるのは異常だった。病気を疑ったが、それらしい症状も見つからない。


 八方塞がりだよ。そう言って肩を竦めるルキフェルに、調査に出ていたベール達も困惑顔だった。ルシファー自身も、魔王城の鼻先にある庭の動物を捕獲して確認したが、やはり飢えて痩せている。危険も顧みず、与えた餌に飛び付く様子はおかしかった。


 毛艶も悪く、骨が浮いて見えるほど痩せた身体……異常事態なのは分かるが、解決方法も原因も分からぬ状態では打つ手がない。


「ロキちゃん、これは確証がないんだけど……」


 作り置きのプリンを食べていたリリスが、小さく首を傾げた。まだ半分ほど残っているプリンの器を差し出す。


「味はするのに栄養がないってこと、あるかしら?」


 会議のために集まった5人は、そのプリンに注目する。味がするのに、栄養がない。つまり食べても身にならないという意味に聞こえた。


 黒に見える濃紫のカーディガンを羽織ったリリスは、説明に困ってぽつぽつと予想を口にした。


「ご飯を食べてるのに痩せるのって、普通は吐いてるとか。体調が悪いと思うでしょう? でも違うのなら、ご飯に栄養がないのかも知れないわ」


 食べても吸収されないとしたら、嘔吐や下痢を含む病が考えられた。魔力の少ない人族が病に罹りやすかったのと同じで、動物も魔力という耐性がない。自己治癒力も低いため、病気の可能性は高かった。しかしルキフェルの診断で、病気は否定される。


 動物達は食べていたのに痩せた。病気ではなく、吐いた様子もない。消去法で否定していくなら、残るのは突拍子もない可能性だけ。


 食べた物の栄養が低ければ、普段以上の量を食べないと生命が維持できない――つまり、栄養失調だった。単純に症状だけを見れば、動物達の状況はこれに該当する。


「食べてるのに栄養失調、ってことか」


 素人だからこその視点だった。動物達の見た目から判断した。それはひとつの可能性であり、現時点で否定する根拠がない。


「数匹の動物を捕まえて保護し、様々な食事を与える実験をしたらどうだ?」


 ルシファーの提案に頷いたのはベールやアスタロトだった。しかしベルゼビュートは首を横に振る。


「無理よ、実験の結果が出る前に森の動物が絶えてしまうわ」


「ベルゼビュートの言葉にも一理ある。もっと簡単に比較できる物を探そう」


 ルキフェルが呟きながら、じっと残り物のプリンを見つめる。


「ルシファー」


「……なんだ?」


 すごく嫌な予感がする。ルシファーの本能が告げていた。今すぐ話を切り上げて逃げろ。そうじゃないと大切な物を失う、と。


 リリスの腰に手を回し、転移で逃げられるように準備する魔王へ、ルキフェルは笑顔で言い放った。


「昔、リリスが作ったプリン持ってたよね?」


「記憶にない」


 きりっとした顔で言い返し、ルシファーは顔を逸らした。その所作で、アスタロトが嘘を見破る。保存用、食べる用……そんなことを言いながら、リリスが初めて作ったプリンを保管していた。アスタロトの記憶力はずば抜けている。


「持っていますよね、ルシファー様」


「お、ぼえてない」


 逃げ切ろうと必死のルシファーにトドメを刺したのは、腕の中のお姫様だった。


「お願い、ルシファー。私が昔作ったプリンを提供して」


「う、ぐぅ……くっ」


 呻いて葛藤し、集中する視線に耐えきれず、ルシファーは項垂れた。


「半分だけなら」


「一口でいいよ」


 あまりの落ち込みように、気の毒になったルキフェルが苦笑いしながらスプーンを差し出す。その匙の大きさを確認しながら、ルシファーはプリンを取り出した。


 冷却と保存の魔法陣を重ね掛けし、ずっと保存してきた大切な……リリスが初めて作ったプリンの最後の1個だ。穴を開けないよう、注意深く上の部分をスライスして回収する。気遣ってくれるルキフェルに感謝しながら、ルシファーは大切なプリンの残りを再び収納空間へしまった。

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