935. 器用すぎる弊害

 駆け寄ろうとしたリリスを、大公女達が必死に押さえた。両手を振り回して暴れる彼女を、ルーサルカが抱き込む。背中や肩を叩くリリスの力が、徐々に弱まった。


「落ち着いて。リリス様、一緒に行きますから……ね」


 我を失った状態で主君を結界の外へ出せない。そう告げる彼女に、ルーシアがそっと触れて治癒を施す。暴れたリリスが申し訳なさそうに、小さな声で呟いた。


「もう平気よ、ありがと……ごめんなさい」


 取り乱したことを詫び、リリスがひとつ深呼吸する。無理やり落ち着かせてから、視線をルシファーへ戻した。ざわりと感情が暴れるのを、必死に堪える。今はダメよ、ルシファーも傷つけてしまう。泣きそうな気持ちを飲み込み、自分に言い聞かせた。


 震える足を踏み出すと、心配そうにシトリーが腕を取った。素直に支えられて近づき、魔熊に庇われる魔王の脇に膝をつく。母熊が申し訳なさそうに子熊を咥えて、場を譲った。伸ばした手でルシファーの肌に触れる。体温が低い気がして、慌てて抱き締めた。


「アシュタ、ベルちゃん、ロキちゃん……ベルゼ姉さん。助けて」


 ぽろりと涙を零して、頼りになる側近たちの名を呼ぶ。リリスの周囲に温かな魔力が集い、ふわりと黒髪が風に舞い上げられた。きらきらとした魔力の流れが大公女達にも見える。金色に輝く光がリリスを包み、眩しいほどだった。


「すげぇ、俺にも見える」


 アベルが驚きに目を見開く。神秘的な光景に意識を奪われたアベルを、イポスが叱咤した。


「気を抜くな」


 落下した人族が何らかの攻撃意思を示すかも知れない。ぴりぴりした空気を纏い、イポスは警戒を解かなかった。ヤンも鼻に皺を寄せて、威嚇し続ける。危機はまだ去っていないのだ。


「ごめん」


 素直に謝ったアベルも魔剣に手を掛けて、状況を確認した。結界の外で血まみれで動く人族の様子は、前世界で観たゾンビ映画のようだ。結界の中に入れないため、外側を血塗れで撫でて騒いだ。その声も遮断されているので、眉をひそめて呟く。


「ぞっとする光景だな」


「リリス様、落ち着いて」


 レライエが肩を抱いて話しかける。涙をぽろぽろ流すリリスが、癇癪を起したように叫んだ。


「もう! 来ないなら全員解任しちゃうんだから!!」


 大公達が来ないことに腹を立てた彼女の叫びが、結界内に響き渡った。ルーサルカの足元から、ぞろりと影が動いて現れたアスタロトが一礼する。


「解任はご容赦を……他の大公は外で足止めを食らっておりますよ」


 全員集合はしたのだ。叫んだリリスの声は届いている。しかしルシファーが最後に張った結界が強すぎて、転移を弾かれてしまった。


 内部へ入れたのは、影を操るアスタロトのみである。それもかなり魔力を消費し、己の血を持つ義娘の影を利用してやっとの思いで侵入した。その直後の叫び声に、苦笑がにじむ。


「アシュタ……ルシファーが倒れちゃった」


 貧血に似た症状に顔をしかめながら、アスタロトはルシファーの身を抱き起した。この結界から連れ出さなくては、他の大公に触れさせることが出来ない。治癒に関してなら、ベルゼビュートかベールが向いているのだが……。


「どうやって結界から出るか、ですね」


 ひんやりと肌が冷たく感じるのは、極端な魔力不足と同じ症状だ。12枚の魔力を開放していれば問題ないが、ルシファーが呼び起こしたのは4枚分だけ。結界を張るだけなら十分に魔力は足りた。


 魔熊の親子を助けようとした瞬間、ルシファーは急激に大量の魔力を消費した。それは電池残量のあるバッテリーの電圧が落ちるのと似ている。魔力の残量は残っているのに、接続して使用できない状態を生み出した。


 一時的に魔力の供給が断たれた身体は、気絶という形で動かなくなる。意識も落ちているだろう。問題はそれでも魔力を供給して結界を維持している現状だった。


 彼が気を失い、魔力を制御できなくなれば結界は消える。維持したまま意識を失うなんて……。


「本当に器用な人ですね」


 呆れた、本心からそう思う。怠い身体でルシファーを運ぶと、結界の中央付近に横たえた。

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