934. まだ降ってくるわ

 空から落ちてきた大量の人に気づいたのは、運が良かったのか。魔獣達の領域に入った途端、気づいて空を見上げたルシファーが眉を寄せる。


「陛下?」


 不思議そうなイポスの声に短く返す。


「大量の落下物だ。各々結界で身を守れ」


 最低限の注意をして、大きな半円状の結界を外に張る。落下する人影に魔力はほとんど感じなかった。魔法を使っての攻撃がないなら、物理的な落下の衝撃を和らげるだけでいい。


 念のために内側に魔力反射の結界も重ねた。直後、最初の落下物が結界に当たる。ぐしゃりと嫌な音を立てて潰れた人が、結界の外側を滑り落ちる。続いて同様に結界にぶつかる者、近くの木々に弾かれた者が呻く声が満ちた。


「何、これ」


 きょとんとした顔のリリスが瞬きし、首をかしげる。彼女の周囲は複数の結界が重ねがけされていた。


 右隣で、アベルが剣の柄に手をかける。ルーシアが水の膜で結界を張ったが、透けて見える遺体に顔をしかめた。隠すようにルーサルカが目隠しの土壁を作る。


「気持ち悪い、何なの?」


 シトリーが口元を手で覆い、レライエは翡翠竜の入ったバッグを抱きしめていた。ちょっと力を込めすぎて、アムドゥスキアスの首が締まっているが、当人が幸せそうなので放置する。


 護衛のヤンが唸り、イポスは抜刀せずに魔法陣を手に空を睨んでいた。結界で遮られているが、外は血生臭さが漂い、臭いに敏感な魔獣達を誘う。


「……人族だな」


 落下物を見極め、ルシファーがぼそっと呟く。生き残ったのは半数ほどだった。もし結界にぶつからなければ、もっと生き残ったかも知れない。硬い結界の外側に当たれば、岩に激突するのと変わらない衝撃が人体を襲っただろう。


 わかっていても、この結界を解除する気はなかった。人族だから見捨てるのではなく、これが魔族であっても結果は同じだ。突然空から落下して、他者に迷惑をかける行為は見過ごせない。


 ベルゼビュートがいたら、周囲に落下して生き残った者も切り捨てられた。彼女はレラジェの子守をしながら辺境を回っている。忠誠心の塊のようなベルゼビュートなら、魔王の上に落下する無礼への返礼と称して細切れにするはずだ。


 この程度の損害で済んで良かったが……何が目的で空から降ってきたのか。首をかしげるルシファーの純白の髪を、ぐいとリリスが引っ張った。彼女の視線は空に固定されている。


「まだ降ってくるわ。もっとたくさんよ」


「何だと?!」


 見回した周囲は、魔獣が集まり始めていた。大量の血の臭いに、魔熊や魔狼をはじめとした複数の種族が食事にありつこうとしていた。彼らには結界が張れない。魔力はあるが魔法や魔法陣の扱いは出来なかった。


 空を睨み、舌打ちする。リリスの言葉通り、上空から落ちてくる大量の人族がいた。このままでは魔獣に直撃する。


「結界を広げる!」


 叫ぶのはそれが精一杯だ。手の空いている者は魔獣を守れと、そう告げる余裕はなかった。全力で結界を展開する。引きずり出された黒翼が一気に4枚広げられた。


 母熊の足にしがみつく子熊が、ふらふらと血の臭いに惹かれて離れる。広がる結界の隙間から漏れた子供に気づき、母熊が悲鳴に似た警告音を発した。


 リリスに「ここに残れ」と言う時間がない。彼女を掴んでいた手を離し、翼に残った魔力を推進力として地を蹴った。伸ばした手に、左から突進する母熊の手が重なる。触れたのは、どちらが早かったのか。


 指先に宿した魔力が結界の膜を作り、外側に溢れた子熊と母熊を覆った。直後、大量に降り注いだ落下物が破裂して血を撒き散らす。


「ルシファー!!」


 叫んだリリスの声が耳に届く。大丈夫、オレは無事だ。そう返そうとした声は出ず、代わりにルシファーの口から細い息が漏れた。

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