1095. 求愛行動で浮気だぞ

 翌朝、ルシファーは魔法で風呂を掃除していた。というのも、昨夜調子に乗って薔薇を大量に浮かせたのが原因だ。花びらが排水溝に詰まったらしく、また湯が溢れた。掛け流しなので、どんどん湧き出る湯が脱衣所に流れ込む事態となり、出かける前に掃除を始めたのだ。


 朝風呂の予定が潰れたアスタロトは少し機嫌が悪く、ルシファーも逆らわず掃除を済ませる。薔薇を浮かせるのは、魔王城に帰るまで禁止となった。


「お風呂の薔薇は禁止ね。わかったわ」


 そう納得したリリスだが、泡風呂の話を聞きつけて泡だらけにするのは、もう少し先のことである。


「今日からシアが合流ね」


 休暇明けで合流したルーシアは、リリスにプレゼントされた靴を履いていた。今日は全員同じ靴にすると決めたらしく、女性達は色とりどりの革靴で足を包む。入れ違いでレライエが休暇に入り、彼女はアムドゥスキアスと一緒に街へ買い物に行くらしい。


 レライエに見送られて屋敷の入り口で転移する。約束した場所は、店主が昨日店を出していた路上だ。店主はすでに待っていた。犬獣人の彼の傍に、狐にしか見えない魔獣が座る。


「おはよう、呼び立てて悪かったな」


「いえ。お気になさらず」


 丁重に受けた店主は、隣の狐を示した。かなり大きな狐だが、魔獣なら珍しくはない。問題は尻尾の数だった。


「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、いつ……5本もあるわ!」


「リリス、まだその数え方なのか」


 気の抜けたルシファーが苦笑いする。教えたのはベールだった。数え方が古風だが、まあ問題はない。小さい頃は可愛いで済んだが、そろそろ直してやるべきか。実害がないなら放っておくべきか。


 どうでもいいことで悩み始めた主君をよそに、アスタロトは片膝を地につけて魔獣と視線を合わせた。白茶の毛皮を持つ狐は、美しい緑の瞳をしている。5本の尻尾は立ち上がり、ゆらゆらと揺れた。


「魔力量が多いですね。見事です」


 見覚えのある種族だったので、アスタロトの緊張は解れた。新種だとすれば、人狼の時のように保護したり、同族の有無を調査する必要がある。兄弟姉妹に同じ種族がいれば、問題はないのだが。


「妖狐族でしょう」


「特徴から言っても間違いない」


 ルシファーも見覚えのある狐に頷いた。魔獣としての姿と、人の形の両方を器用に使いこなす一族だ。5000年ほど前に滅びたが、蘇っていたらしい。遠い先祖に血が混じっていたのだろう。魔力量が多いことが特徴で、魔法に関しては直感であれこれと工夫する職人気質な性格をしていた。


「懐かしい」


 思わず呟いたルシファーの目に、もう1匹狐が映った。兄の後ろに隠れていたらしい子狐は、尻尾が2本だ。これはルシファー達の翼と同じく、魔力量を示していた。


「妹、かしら」


 リリスが微笑んで膝をつく。おいでと手招くと、子狐は躊躇なく飛びついた。まだ生まれて間もないのか、膝の上で寝転がって無防備に甘える。


「可愛い」


「ぬいぐるみみたい」


 ルーサルカやルーシアが声をあげるが、少し距離を空けていた。というのも、兄狐が緊張しているからだ。大切な妹を守ろうとする兄に、ルシファーが話しかけた。


「そなたの作った魔法の杖だが、作り方を見せて欲しい。それと妖狐族の復活を申請しなくてはいけないので、魔王城へ一度顔を出してくれないか」


「……わかりました」


 素直に応じた兄狐は、隣で不安そうな犬獣人の父を見上げて尻尾を振った。ルシファーに対する警戒は解けたらしい。妖狐は自分への邪心を、本能的に見抜くと言われてきた。害を与える気がないと伝わったことで、安心したように尻尾の揺れが大きくなる。


「立派な尻尾ね。触っ……」


 触ってもいい? 尋ねようとしたリリスの口を、慌ててルシファーが塞ぐ。間一髪、間に合った。


「リリス、尋ねたのは正解だが。妖狐に対して尻尾に触るのは求愛行動になるから、ダメだ。浮気だぞ」


 触る前に尋ねるのは原則だが、妖狐だけは除外される。滅びた種族だったので伝えていなかった。危ない、魔王妃が公道で浮気宣言をするところだ。焦ったのはアスタロトも同じで、咄嗟にリリスの周りに遮音結界を張った。


「……ごめんなさい」


「いや、言わなかったからな」


 こちらが悪い。驚いた顔で尻尾を逆立てた狐が落ち着くまで、彼らはその場所から動かずに路上でひたすら待ち続けた。

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