953. 魔の森は娘と歌う

 フェンリルの頭の上をリスが走り、鼻先でサルが遊ぶ。シトリーは大小さまざまな鳥と歌を歌っているし、誘われたのか。魔獣以外の動物も集まっていた。食物連鎖で捕食者と非捕食者に分かれるはずの肉食獣の背で、草食獣が尻尾を振る。臆病で有名な山羊の魔獣パーンもいた。


 ルーシアは猫を抱いて座り、隣のルーサルカは熊をクッション代わりに寛ぐ。ヤンがくしゃみをすると開いた口の中で、子狼が転げまわった。お陰で口を閉じられなくなり、リスが木の実を隠していく騒動に発展する。翡翠竜が曲芸を披露し、真似する子猫と虹蛇……手を叩いて褒めるレライエ。もう種族も区別も関係なかった。


 ベルゼビュートは巻き毛を直すのに夢中で、ルキフェルに気づいても立ち上がろうともしない。森の楽園風景がどれだけ異常か――目を見開いたルキフェルが左側へ視線を向ける。毛皮の群れに囲まれて座るリリスの膝に頭を乗せて、ルシファーが昼寝中だった。


「ごめん、状況が理解できないんだけど」


 ぼそっと呟くと、ベルゼビュートが何でもないことのように笑った。


「理解しない方がいいわ。リリス姫が歌ったら、こうなっちゃったの」


 リリスが魔の森の娘である認識は、魔族の貴族階級ならほとんど知っている。秘密にした記憶もないし、彼女を歓迎する魔族の方が多かった。魔の森は魔族の母であり、死して受け止める器だ。その娘なら、魔王の妻に相応しいと盛り上がったのは先ごろの即位記念祭だった。


 ルシファーはよほど疲れていたのか。ルキフェルの転移に起きる様子はない。閉じて見えない銀瞳がないと、いつもより幼く見えた。外見が若いまま保たれるのは、魔力量豊富な魔族の特徴だ。8万年経っても、僕と変わらない姿って凄いよね。関心するルキフェルの背に、リスが駆け上った。


 驚いて動きを止める。落とさないよう注意しながら、そっと様子を窺う。肩に乗ったリスは大きな瞳で見つめ返し、水色の髪の先を握って首をかしげた。


「え? なんで」


「それがね。リリス姫の歌のせいだと思うの。不思議でしょう? あたくしの膝の上にも子猫が乗ったのよ。初めてだけど、柔らかくて可愛かったわ」


 思い出して、くすくす笑ってしまう。魔獣を含め、野生の動物は魔力の多い魔族に近づかなかった。肉食獣を見ると逃げるのと同じで、本能的に恐怖を感じるらしい。操ればいくらでも触れるが、それとは違う自然の状態がルキフェルの混乱を誘った。


 成獣となった動物や魔獣は恐怖を抑えて挨拶する者もいる。平伏し敬意を示す彼らに触れても強張って身体は硬く、幼い頃はがっかりしたものだ。幼獣は本能優勢で、我慢が出来ない。そのため触れさせてくれないのが普通だった。手を出して引っかかれたことも多々ある。


 遠くに見るだけだった小動物が、怯えずに自分の肩に掴まっている。初めての経験に手を伸ばし、触れる前に止めた。だが我慢できずに触れば、頬ずりさながら毛皮を擦りつけられた。自然と顔がほころぶ。


「……折角だからここで休むことにしたのよ。魔獣も向こうから挨拶に来てくれるし、陛下も疲れたみたいだし」


「リリスの気配が薄いよね?」


「封印のせいかしら。陛下がリリス姫の魔法を封じたから……でも薄く感じたのは歌い出してからだわ」


 精霊女王のベルゼビュートが感じたなら間違いない。リリスは己の気配や魔力を歌に込めて、森に還元している。周囲に彼女の魔力が沁みるから、全体に薄く感じたのだ。薄墨の中で墨を垂らしても、存在がぼやけるのと同じ原理だった。簡単そうに難しいことを行うリリスは、小さな声でまだ歌い続けていた。

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