1267. 息抜きは視察の前が原則

 翌朝、アデーレから食事の入ったバスケットを受け取る。収納空間にしまうルシファーに、お茶のセットも手渡された。そちらも中に入れる。家具類は一通り持ち歩いているので、問題はなかった。緊急用の非常食セットも持っているし、ヤンの背中にも非常食の入ったバッグが付けられた。


 はぐれてしまっても数日は問題ない。ヤンはリリスから絶対離れないよう命じられ、気合を入れて返事をしていた。イポスも同様にリリスの護衛として同行する。彼女は収納魔法に一揃い用意しているため、武器以外は手ぶらだった。


「準備はよし。行くぞ」


 中庭に降りて魔法陣を地面に置く。転移先の情報を修正し、確認してからルシファーが最初に乗る。リリスが追いかけ、後ろにイポスがついた。ヤンは大型のまま魔法陣に座る。小型化して転移してもいいのだが、護衛として同行する以上、威嚇は必要だと本人が譲らなかった。


 パチンと指を鳴らし、魔力を地面に描いた魔法陣へ注ぐ。光ってぐらりと揺れた後、すぐに潮の香りが届いた。砂浜まで数分の距離に降り立つ。魔法陣が消えるのを待って、くんくんと周囲の安全を確認したヤンが頷いた。


「我が君、問題ございませんぞ」


「よし。では移動だ。まずは海だな」


 仕事からではなく、息抜きを優先する。これはサボっているわけではない。ルシファーは過去の経験から、遊べるときに遊び、休める時に休むべきという方針だった。


 出かけた視察先で仕事を終えて、さあ風呂でもと思った矢先に呼び出されたり。ようやく書類処理が一段落して、これから寝ようという時に勇者が訪ねてきたり。とにかく、先に仕事を終えると次の仕事が入って身動きが取れなくなる。先に遊んでいれば、心残りが少ないのだ。アスタロト辺りに知られたら、しっかり叱られるだろうが。


「バレなければいい」


 にやりと笑うルシファーに忠告する者はいなかった。イポスもヤンも慣れてしまい、嗜める気はさらさらない。ここ10年ほどの護衛中も、とにかく予定を邪魔されることが多かった。その経験は、ルシファーの言葉を後押しする。


「ルシファー、海はカルンがいるのよね」


「そうだな。100年もすれば戻ってくるだろう」


 アベルとカルン、どちらもルーサルカを好きなのだが……その時、彼女はどちらを選ぶだろうか。未来のことは未来で処理すればいい。いま頭を悩ませる必要はなかった。


「海の中に入るか?」


「前に行った海の底で魚を見たいわ」


 幼いリリスを連れて転移して失敗し、海の底にある岩に足を同化させたルシファーは「ああ、あれか」と懐かしく思い出す。あの時は海水ごと魚を持ち帰った。今回は持ち帰るのはやめて、この場で美味しくいただく方針に変更した。


「魚を獲るぞ!」


「我が君、海はべたつきますゆえ……」


 我はここで荷物番をいたします。荷物などないのに、入らないための言い訳を始めるヤン。狼は雪や雨で濡れるのは諦めるが、わざわざ水の中に入りたがる習性はなかった。


「ヤン殿、私が護衛しますからご安心を」


 その点、イポスは水も火も気にしない。同行するイポスを連れて、言い訳程度の荷物をヤンに預けたルシファーはリリスを抱き上げた。突然の抱っこに、驚いて首に回した手に力が入るリリスが「きゃぁ」と声をあげる。


「懐かしいな。こんな感じだったか?」


「あの時は縦に抱っこしてたわ」


「もう大きいから、それは難しいか」


 同じ場面を再現しようと思ったんだが? そう言って笑うルシファーにしっかりしがみ付いたリリスは、イポスを伴って海の底へ転移する。今回はルシファーの足が岩に食われることもなく、無事に海底へ着地した。


「素敵、ここでカルンの真珠を見つけたのよね」


「危険だから、今回は持ち帰りはなしにしよう」


 騒動を起こしたら、ベールとアスタロトに殺される。忙しさに苛立つ側近2人を思い浮かべ、ルシファーは苦笑いした。

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