1268. 見ぬフリをするのが賢いオス

 捕まえた魚は一抱えもある大きな黒い魚と、青い小型の魚が数十匹だった。黒い方は大きな牙があり、魔獣といい勝負だ。砂浜に放り出した獲物を臭ったあと、ヤンは唸った。


「まだ生きておりますぞ」


「ああ、魚は鮮度が大事なのだと聞いたからな。眠らせただけだ」


 眉間の辺りを叩くといい。ルキフェルがそう言っていたので、試してみたが……殴った途端に腹を上にして浮いたのはびっくりした。気絶したのだろう。それを抱えて持ち帰ったのだ。丸焼きにするつもりで、準備を始める。この辺の道具は一通り収納に入っていた。


 昔は各地をうろうろしながら、野営も頻繁に行った。魔王城が建設されるまで数千年かかった。そんな雑談をしながら、大昔にしまい込んだ大きな石を積み重ねて砂浜で火を焚く。リリスは大きな魚に目を輝かせた。イポスが手際よく腹を裂き、内臓を取り出してから水で洗う。


「何をしてる?」


「汚れたから、イポスと一緒に海で洗うの」


「綺麗にするなら浄化にしておけ」


 海の水がつくとベタベタになる。女性の髪がぼさぼさになると知りつつ見送るのは罪だろう。丁寧に説明して、2人まとめて浄化した。イポスの横で眺めて手を突っ込んだりするため、リリスもかなり汚れたのだ。綺麗になった手を確認し、リリスは受け取ったお茶の道具を並べ始めた。


 イポスは料理用の皿や道具を取り出す。魚の丸焼きに関しては、見張り役をヤンに任せた。串刺しにされた魚を裏返しながら焼いていくヤンの横で、青い小魚をすり潰したイポスが団子を作る。他の野菜や肉を放り込んだ鍋をかき回すルシファーが顔を上げると、お茶を淹れたリリスが手招きした。


「休憩してお茶飲みましょうよ」


 完全にただのキャンプ状態で、仕事の視察は置き去りだ。一応ルシファーの言い訳として、海の底を見物してきたが……視察とは程遠い遊びっぷりだった。


「魔王陛下、視察もしないと叱られます」


 誰に……の部分をぼかしたイポスの指摘に、ルシファーはお茶を手に頷く。


「そうだな。明日はもっと内陸部へ入って視察をしよう。それに新しく増えた領地の把握もまだだし、また新種がいたりしてな」


「やだ、ルシファーったら。そういうのをと呼ぶのよ? 何かが起きる前に起きるかもと予感させるセリフのことで、小説によく出て来るの」


「あ、もしかして『新しい恋の始まりをあなたと』をお読みになりましたか?」


「イポスも読んだの? あれ、素敵よね」


 そこからイポスとリリスの恋愛小説談議が始まり、ルシファーはそっと距離を置いた。魚を見守るヤンの隣で、砂の上に座って鍋をかき回す。


「……女性同士の話は長い」


「我が君、そこは見ぬフリをするのが賢いオスですぞ」


「なるほど。奥が深い」


 魔王と言えど、妻を娶ったことはない。そもそも恋愛経験すら皆無だった。すでに孫が大量に闊歩しているヤンは、その意味で先輩なのだ。彼の助言を素直に聞き入れ、ルシファーは巨大な魚の焼け具合を確認した。内部まで程よく火が通り、香りもいい。追加でエルフ特性のハーブを魚の身に擦り込んだ。


「リリス、イポス、食べられるぞ」


 手を叩いて喜ぶリリスはお茶の道具を収納へ片付け、イポスの手を引いて駆け付けた。手伝いを放り出したと恐縮するイポスの真面目さに、ルシファーが頬を緩める。


「構わないさ。野営の時は手の空いた者が動けばいい。まあ、城にいても同じだがな」


 手の空いた者が動く。得意な者が請け負う。魔族にとってごく当たり前のことだ。そこに肩書は関係なく、ルシファーはそんな魔族の在り方が気に入っていた。


「食べるぞ」


 大きな魚を切り分け、テーブルに着いた。ぱくりと齧りついた魚の残りを、何かが掠めとる。咄嗟にヤンの手が動き、魚泥棒を砂の上に叩きつけた。

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