898. 恥を知りなさい

 響いたリリスの声に、敵も含めた領民たちの注目が集まる。当人は顔を真っ赤にして怒りをぶちまけた。


「他人を巻き込むのも、食べ物を粗末にするのも、最低よ!! 恥を知りなさい」


 店内に満ちるリリスの魔力が感情につられて倍増する。人々の注目を集めたリリスに敵の視線が向かい、隙をついてイポスが床を蹴った。僅かな油断に舌打ちした男が、怯える店主を盾にしようとする。カウンター脇で震える店主は動けないが、ルシファーの結界に阻まれて触れられなかった。


 弾かれた男が、痺れの走る手を押さえる。


「お前に破られる程度の結界では、魔王を名乗れぬ」


 嫌味をさらりと告げ、相手の怒りをさらに煽った。可哀そうなほど震える店主をこれ以上危険に晒さないための手段だが、アスタロトがいたら「やめてください」と溜め息をついただろう。騒動を大きくする予感に頭を抱える状況だ。


 魔王を睨む男の視界に飛び込んだイポスの剣が、喉を狙った。咄嗟に爪で防いだ男は、ニ撃目の短剣を避けられない。長剣の陰から繰り出した短剣が、逆方向から男の喉にぴたりと突き付けられた。薄皮一枚、緊張に喉を動かしたら切れる。


「動くな」


 殺せと命じられていない。そう匂わせたイポスの低い声を追うように、彼女の金髪がさらりと肩を流れた。高い位置で結んだ髪を、首を振って背に戻したイポスの青い瞳は細く眇められる。竜化した指先の爪を引っ込める男を、柄頭で殴って気絶させた。


 竜種は全身が鱗に覆われているため、殴ると言ってもかなりの硬さである。牛の角を持つ魔獣を祖先に持つサタナキアの娘ならでは、の力技だった。倒れた男を手早く拘束して転がし、震える店主を助け起こす。竜人種である店主は、鱗のある手を伸ばしかけて引っ込めた。


 鱗を嫌う種族が多いことを思い出したのだ。特に獣人系は自分達と違う鱗に触れることを躊躇う者が多かった。差別というより、感触に違和感があるのを嫌うのだろう。しかし将軍の娘であり戦場を駆けた経験のあるイポスは、ドラゴン系種族との接触を忌避しない。


「大丈夫ですか? どこか痛んだりはしませんか」


 気遣いながら、鱗の手を掴んだイポスに助け起こされ、店主は丁重にお礼を言った。一見すると解決したように見えるが、まだ敵は潜んでいる。棚を吹き飛ばした竜は外で拘束されたが、まだ身を隠す魔族がいた。


「勝敗は決したが、まだ諦めぬか」


 仕事モードの口調で待つルシファーだが、魔力の主は出てこない。体内で練る魔力が膨らんでいくのを感じ、攻撃に転じると判断した。温情は不要と理解したルシファーの指先が、ターゲット指定の魔法陣を描く。詠唱も準備もなく、魔力を練ったドラゴンは外へ放り出された。


 まだ若いドラゴンだ。店内で竜化することで、膨張や自重により店ごと潰そうと考えたのか。鮮やかな朱色の鱗を纏う巨体で、足を踏み出した。口の中にブレスの魔力が蓄えられていく。いくらドラゴンが主流の街とはいえ、ブレスに耐えられない他種族も住まう地だ。


 まだ危害を加える気の若者へ、ルシファーは威圧を放つ。保有する魔力の1割に満たない量を開放し、魔力と物理的な圧力で彼を押さえつけた。


「ぐぅう」


 唸るドラゴンを無理やり地面に伏せさせ、口に蓄えたブレスの魔力を相殺する。炎を得意とする若者のブレスを、氷の冷気を纏う魔力で打ち消した。ぴたりと同じ量でなければ、消滅ではなく爆発する。簡単そうに難しい魔力操作を行い、ルシファーは冷たい銀の瞳で朱色のドラゴンを睨みつけた。


「ころし、てやる」


 ぎこちないながらも、ドラゴンの口から言葉が吐き出される。その恨みに満ちた暗い感情を浴びても、ルシファーの表情は動かなかった。

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