1074. 温泉のお湯が、ない

 大公女達を伴って外へ出たアスタロトが、念のために結界を張った。自分達を守る結界ではなく、周囲を守る結界を張る辺りが彼らしい。ルシファーが何かしでかす可能性をもっとも理解していて、それ以上に彼に何かあると心配する必要がないと分かっている。


 不安そうなヤンがうろうろと歩き回り、イポスは固く手を握り締めた。


「そんなに心配はいりません。魔王の護衛は形だけですからね」


 何しろ最強の名を欲しいままにする純白の魔王だ。そう告げたアスタロトに、イポスは小声で返した。


「お言葉ですが、心配なのはリリス様です」


「……平気でしょう」


 外的な被害からはルシファーが守る。命に代えても守るだろうが……問題は、彼女自身が何か仕出かす可能性が大きいことだった。今回は魔力を封じられているし、問題を起こしようがないはず。


 ふわりと温かな風が吹いて、焼け焦げた屋敷の奥から魔力が溢れる。きらきらと輝きを散らしながら復元魔法陣が発動した。美しい光景に、レライエとシトリーが感嘆の声をあげる。


「問題なかったようですね」


 爆発も噴火もなく、大地が陥没もしなかった。屋敷が元に戻ったのを確かめ、アスタロトは結界を解除する。勢いよく飛び込んだのは、ピヨを背に乗せたヤンだ。追いかけるイポスも早足だった。気が急いているのは、護衛としての責任感だろうか。真面目な1人と1匹を見送り、アスタロトは少女2人を従えて足を踏み入れる。


「ピヨ、こっちにいたのか!」


 保護者を兼ねる番のアラエルがふわりと着地した。門番の仕事を終えて交代したついでに、火口にいるピヨを訪ねたらしい。わざわざ顔を見に来たピヨを追いかけ、この屋敷にたどり着いた。大きすぎる体を器用に屈め、鳳凰はピヨに頬ずりする。


「また何かありましたか?」


 心配そうに尋ねるのは、いつもピヨが迷惑をかけている自覚があるからだ。罰の1ヵ月面会禁止も堪えたのだろう。早めにトラブルを聞き出してお詫びする方針に切り替えていた。


「今回はもう終わりました」


 問題を起こさなかったと言えば嘘になる。しかし悪気はなく掃除に失敗しただけで、後始末は魔王自ら行ったので罰する気はなかった。アスタロトは簡単に経緯を説明しながら屋敷の復元状況を確かめる。


 廊下に置かれた花瓶や、焦げた屋根も元通りだった。満足げに頷きながら歩いていたアスタロトは、甲高い悲鳴に慌てて方向転換をする。声が聞こえたのは露天風呂がある方角だった。護衛のイポス達が駆け付ける足音が響き、後ろの少女達も全力で廊下を走る。


 飛び込んだ先は、湯気のない露天風呂だった。


「……お湯が、ない」


 呆然とするルシファーの声が、湯の枯れた湯船に反響した。驚いて叫んだのはリリスらしい。以前に入浴した掛け流しの温泉が消えた光景に、アスタロトも唖然とした。湯船の状態を見る限り、ここ数日で枯れたわけではなさそうだ。復元によって、数日前の状態に戻ったはず。湯が消える現象はおかしい。


「最後に使ったのは……誰でしたか?」


 使用許可を出した記録を思い浮かべるアスタロトの横で、アラエルが「あっ」と声をあげた。振り返った人々の注目を浴びながら、申し訳なさそうに心当たりを告げる。


「確実ではないのですが。先日ピヨを迎えに行ったときに鳳凰のある夫婦が喧嘩をしておりまして……火口の形が多少変わりました。温泉に影響が出てはいけないと、デカラビア子爵家に確認しております。温泉街の湯量は変化なかったんですが」


 その報告は受けている。問題なかったどころか、多少湯量が増えた気がすると書類に記されていた。とすれば……増えた分のお湯の出どころはこの屋敷である可能性が高い。


「ここの確認はしなかった、と?」


「はい」


 告げ口みたいで気が咎めるアラエルに、ピヨが飛び乗って慰める。その微笑ましい光景をみながら、ルシファーが溜め息をついた。


「風呂に入るには、火口へ行く必要がありそうだな」

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