284. お強請りと説教案件の合間で

「夕暮れ前に帰りたいから、ちょっとズルしちゃおうか」


 足元の魔法陣で湖の近くに転移する。遅れて出現した魔法陣が、コカトリスを包んで収納した。森にわずかな毒だけを残して……。


「っ! なんかいる!」


 ルキフェルがとっさに魔法で結界を展開する。転移先で感じた強大な魔力に反応し、過剰すぎる魔力で結界が可視化された。美しい青を帯びた半円形のガラスのような器の中で、遅れて到着したルシファーが魔法陣を描く。


「ルキフェル、もういいぞ」


 ご苦労と労うルシファーの声に、ほっと息をつきながらルキフェルが結界を解いた。内側に張られたルシファーの結界に、直接炎が叩きつけられる。ぶわっと表面を舐めるように走る炎に、少女達は手を叩いて喜んだ。


 意外と肝が据わっていると感心しながら、ルシファーは眉をひそめた。


「外が見えん」


 高出力の炎なのは確かだが、それを放っている奴が見えない。この先にある湖に用があるだけなのだ。その湖の姿も見えない状況に苛立つ。ひらりと何かを追い払うように手を振るルシファーの動きに従い、結界が徐々に範囲を広げ始めた。


「ルシファー、ドラゴンじゃない」


 ドラゴンの長であるルキフェルが言うなら、間違いないのだろう。他に高出力の炎を使うのは神龍族、鳳凰種、幻獣に分類されるいくつかの種族か。それ以外の種族がここまでの炎を連続して維持するのは難しい。


「オレは我慢強い方じゃないぞ」


 敵への宣言を終えると、背中に翼を4枚広げる。結界が倍以上に大きくなった。魔力を解放したことで、ふわりと純白の髪が舞い上がる。急に大きくなった結界の中、少女達は大はしゃぎだった。魔王の結界に守られている今、彼女たちに不安などあるわけがない。


「魔王様、すごいです」


「ん? もう少し広げるから待っていろ」


 レライエの感激した声に気を良くして答えると、ぐいっと長い髪を引っ張られた。不満そうな顔をしたリリスが髪を指に絡めて、もう一度引っ張る。


「どうした、リリス。オレはリリスが一番だって、いつも言ってるだろう?」


 髪を掴んだリリスをそのまま抱き上げて、頬にキスをして額を押し当てる。すると満足したのか、リリスは尖らせた唇を解いた。淡いピンクの唇が「もっと!」と先を強請る。


「お姫様は何をお望みかな?」


 くすくす笑いながら、黒髪や額にもキスを落とした。嬉しそうに抱き着くリリスの向こう側に、呆れ顔のルキフェルがいる。ベールも自分を甘やかすが、ルシファー程ではない。人の振りみて我が振り直せじゃないが、正直どっちのレベルも大差なかった。


「うんと……燃やしてるやつぅ、やっつけるの!」


「お姫様のお願いじゃ、断れないな」


 さらに結界を広げていくと、炎を噴く勢いが弱まってくる。ようやく結界の中に、湖の一端が入ってきた。しかし湖は沸いていて、とても魚獲りの出来る状態ではない。


 ルキフェルがちらっと結界の外を窺うと、半円の結界を伝った炎が後ろの森に飛んでいた。


「ルシファー、燃えてる」


「げっ……また顛末書が増えるじゃないか」


 ぼやいたルシファーがさらに魔力を込めて、外側にもう1枚結界を増やした。その結界で、炎を吐く魔物を包むように反転させる。


「僕は火を消す」


「任せる」


 結界の外の森を一時的に魔法陣で覆って空気を抜く。酸欠になった森から火が消えていった。この場所は魔の森の一部だ。早く消火しないと、復活のために周囲の魔物や魔族から魔力を奪ってしまう。魔族ならば魔の森に火を放てば自殺行為だと知っているため、絶対の禁じ手とされていた。


「魔物か」


 それにしては火の勢いが強かったと首をかしげながら待つと、さすがに包まれた状態で火を吐き続けることはしなかった犯人が見えてきた。焼けた結界を砕いて消し、ルシファーはリリスを抱いたまま結界から出る。


「黒い犬ぅ!」


「う~ん、ヘルハウンドか」


 好戦的な赤い瞳と真っ黒な巨体の犬は、首が二つあった。揺れる尻尾の先は燃え続けており、口から硫黄臭い息を吐き続けている。裂けた大きな口に鋭い牙が並んだ。知性は低い獣だが、まれに手懐けた事例もある。


「がぅっ」


 口を開けて吠える黒犬を指さしたリリスは無邪気に強請った。


「あれ、飼ってもいい?」


「え? やっつけるんじゃないのか?」


 先ほどまでと話が違う。そんなルシファーの疑問へ、リリスは天使の笑顔で悪魔の要求を突きつけた。


「ヤンとピヨと一緒に飼いたい」


 アスタロトに殺されるぞ。暮れ行く茜色の空を見上げて現実逃避するルシファーは、どう答えたものか……と困惑しながら眉尻をさげた。

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