243. ピヨは飛べたか?

 火口の熱を遮断する結界を張った彼らだが、足元を流れる火の川に溜め息をついた。


 地震がなかったので問題ないと考えていたのに、まさかの小噴火である。鳳凰は神獣の中で、もっとも火炎に対して影響力があるため、火山が活性化した可能性が高かった。


「熱いのすごいね」


 花火を間近でみるような光景に、リリスは目を奪われていた。鮮やかな火の粉が舞い、精霊達が炎をまとって飛び回る。足元を流れる赤い川は灼熱の塊で、普段は沈静化している火口の一部が崩れていた。生き物のように蠢きながら外へあふれ出すマグマは、リリスの興味を引く。


「パパ、あれに触る」


「そんなことしたら、可愛いリリスのお手手が溶けちゃうぞ」


 結界があるから大丈夫だと思うが、視覚的に心臓に悪いので拒んでおく。万が一今回触らせて無事だったことで、将来危険を察知できずに触る可能性まで計算したルシファーを、アスタロトが生ぬるい眼差しで見守った。


 付き合いが長い分だけ、ルシファーの考えは側近に筒抜けである。


「陛下、鳳凰を見つけましたわ」


 大きな胸を揺らして駆け寄ったベルゼビュートが、ピンクの巻き毛をくるくると指先で回しながら示した先に、大きな鳥型の影が見えた。唸るヤンだが、飛び掛る様子はない。きちんと約束を守る気らしい。


「あの鳳凰で間違いないか?」


「はい、我が君。間違いありません」


 敵個体を臭いで識別する魔獣ヤンの断言に、ベルゼビュートが驚いた顔でしゃがみこんだ。


「ヤンったら、治していただいたの? ごめんなさいね、あたくしが治そうとしたらベールが止めるんですもの、痛かったでしょう」


 撫でようと伸ばした手を、迷って引っ込めた。傷だらけだった毛皮の状態を知るから、痛みがあるかもしれないと気遣ったのだ。


「いえ、感謝しております」


 平伏して上位者に礼を尽くすヤンの尻尾がゆらゆら揺れる。綺麗に治った尻尾を見て、ベルゼビュートはもう一度手を伸ばした。優しく触れるだけですぐに離す。


「陛下、ピヨがいます」


 じっと鳳凰の様子を窺っていたアスタロトが注意を促す。羽を広げて威嚇する鳳凰の足元に、小さな青色の毛玉が覗いた。どうやら鳳凰の爪に掴まれ逃げられないのだろう。じたばた暴れる姿が捕食された餌のようで痛ましい。


「パパ、ピヨいた!」


 興奮したリリスが指差す。こちらの対応を見るように威嚇する鳳凰が、くちばしでピヨをつついた。次の瞬間、咥えた青いヒナを火口へ放り投げる。


「え?!」


「うそ……っ」


「うわぁ……」


 各人が眉をひそめる中、リリスは状況がわからなくてルシファーを見上げる。それから視線を火口へ戻した。真っ赤な炎が踊るマグマの中に、小さな青い鳥が落ちていく。


「パパ、ピヨが焦げちゃう」


 焦げちゃうどころか、焼き鳥にもならない。一瞬で蒸発してしまうだろう。しかしピヨは鳳凰の一種である鸞鳥らんちょうだ。まだ成鳥にならぬヒナであろうと、炎で殺される心配はなかった。


 そのため見守る魔王一行だが、鳳凰がいきなりピヨを火口に放り込んだことはさすがに驚いた。


「何を考えてるんだ?」


 ルシファーの疑問に「さあ」とアスタロトも首をかしげる。そもそも神獣や幻獣の類は絶対数が少なく、狩ることを禁じられた保護対象だった。通常の魔族より寿命は長いが、つがいとなる相手に出会う確率も非常に低い。中には子を成さずに死んでしまう個体もあるほどだ。


 ピヨを攫ったのが鳳凰だと知ったルシファー達から危機感が薄れたのは、神獣同士が戦うことは滅多にない不文律があるためだった。彼らは互いに戦いで優劣をつける習性がない。そのため何らかの理由があってピヨを連れ去ったと考えたのだが……。


「まさか火口に落とすなんて」


 ベルゼビュートが真っ赤な火口の中を見つめ、不安そうに呟いた。


「出てこない、わね」


 確かに出てこない。一度燃えて再生を行ったが、まだ成鳥には程遠い小柄な身体だった。燃えて蒸発する心配はしていないが、別の心配が浮上する。


「アスタロト、ピヨは飛べたか?」


「私は飛んだ姿を見ておりません」


「ピヨは飛べないよ」


 あっさりルシファーの懸念を肯定したリリスは、腕の中から火口を覗きこんだ。真っ赤な中に青い毛玉は見当たらない。ルシファーの足元で鳳凰へ唸るヤンが、そわそわと火口とルシファーを交互に見つめた。どんなに心配でもフェンリルは火口に飛び込んで助けることが出来ない。


「我が君……」


 助けを求めるヤンの声に、ルシファーは苦笑いして翼を広げた。

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