242. 意外と近くにいましたね

 一度深呼吸して気持ちを落ち着けた。


 城門を守りきれず、ピヨを連れ去られたヤンの心情は理解できる。心配なのもあるだろう。すぐに駆けつけて鳳凰の首を噛み千切り、雪辱を果たしたい気持ちもわかる。


 左腕でぐったりしたリリスの疲れきった顔をみつめ、その頬や額にキスを落とした。この子が必死でヤンを心配して癒した気持ちを無駄にさせたくない。ヤンもピヨも大事だが、誰よりもリリスが大切なのだ。彼女が傷つく可能性があるなら、自分自身を含めて他の者を全員切捨てられるほどに。


「悪かった」


 取り乱したと詫びるルシファーへ、ヤンは震えながらも必死に食い下がった。殺されるかも知れない恐怖に身を震わせながら、譲れない一線を口にする。


「……申し訳、ございません。リリス姫のお気持ちを無駄にするつもりは、なく……ただ、我も鳳凰探しに協力、を」


「わかってる。酷い言い方をした。許せ」


 でかい図体で震えるフェンリルの姿に、子狼だったヤンを叱った過去を思い出す。あの時の彼は狩りの邪魔をされて、頭に血が上っていた。自分より強い相手に食い下がり、挙句に負けてボロボロにされて……それでも食らいつこうと必死だった。


「お前は変わらないな」


 あの頃と同じだと苦笑いが口元に浮かんだ。くいっと髪を引っ張る感覚に目をやると、リリスが赤い目を潤ませていた。


「どこか痛むのか?」


「ううん……パパ、あんまりヤンを怒らないで」


「わかってる。もう仲直りするから大丈夫だよ」


 リリスの額にキスをすると、赤い瞳が伏せられた。その瞼の上にもキスを降らせる。誤魔化されたと思ったのか、リリスがぎゅっと髪を引っ張った。


「もう、怒らない?」


「ああ」


 安心したリリスがにこっと笑う。


 様子を窺っていたアスタロトの手に、ひらりとコウモリが止まる。手に触れると元の紙に戻る報告書に目を通し、金髪の側近は口元に笑みを浮かべた。その表情に気付いたルシファーが問うより早く、報告がもたらされる。


「陛下、鳳凰を発見いたしました。我が領域の奥、山脈の噴火口付近です。意外と近くにいましたね」


 鳳凰が好む場所は限られていた。まず冷気がある水の近くは嫌う傾向にあり、火山がある高温の温泉や硫黄漂う火口付近を住処とする。そのため行動範囲が絞れたこと、魔王軍の一部が火山付近で火トカゲを駆除中に見かけたことが決め手となった。


「すでにベルゼビュートが向かっております。陛下も向かわれますか」


 疑問ではなく、確定事項として口にした側近へ頷く。足元のヤンに視線を向け、髪を掴んだまま赤い目で見つめるリリスを見つめ返す。どちらも引く様子はなかった。


「行こう。ヤン、リリスの護衛として共をせよ」


 命じる形でヤンの同行を許す。大きな耳がぴくりと動き、尻尾がゆらゆらと振られた。嬉しそうに「承知しました」と返したフェンリルに、ルシファーはしっかり釘を刺す。


「いいか、だ。勝手に鳳凰へ攻撃すれば、今度こそペットだからな」


 いくらヤンが大きいとはいえ、リリスの魔力量があれば癒すことも出来たはずだ。それがベルゼビュートの最低限の治療が済んだ状態のフェンリルを治せなかったのは、彼が死の寸前まで追い詰められていたことを意味した。


 なんとか命を繋ぐところまでを、ベルゼビュートがこなした。魔法陣を操れないリリスの治癒魔法が非効率的だったとしても、内臓関係をほとんど修復できている。無意識にだが、リリスは体内の黒い断絶を見て優先的に治したのだろう。そのため外傷は後回しにされた。


 ルシファーが治したのは目立つ外傷と、一部治癒が遅れた関節等だ。まだ魔力が戻らないヤンは足手纏いだが、置いていったら己を責めて自害しかねない。だから『リリスの護衛』という役目を与えて、身勝手に振舞えないよう見えない鎖で拘束した。


 ルシファーの意図を汲んだヤンは「我が君の仰せに従います」と、小型化して戦う意思を放棄する。起き上がったヤンの背中を撫でたリリスが「いいこ」と何度も呟いた。


「ならば参ろう。アスタロト」


「はい」


 彼の足元に展開した転移魔法陣が全員を包む。書き上げたメモをコウモリに変えて飛ばし、アスタロトは魔法陣を発動させた。

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