196. 傷つけられたシルフと魔の森

 リリスが一緒にお風呂に入ってくれる! 浮かれる魔王の足取り?は軽い。さっさと仕事を終えて帰ろうと考えたのか、転移魔法で隣のシルフの森へ移動した。


 風の妖精族は半透明の姿で現れる。『シルフ』や『シルフィード』と呼ばれる妖精族は、悪戯好きで知られていた。しかし助けに来てくれた魔王相手に何か仕出かす気はない。


「久しぶりだ」


「足をお運びいただき、感謝いたします。魔王様」


 半ば透き通った身で優雅に一礼する。サイズは小さく、10歳前後の子供くらいだった。興味を持ったリリスは手を伸ばして、なんとかシルフに触れようとする。


「リリス、人に触るときは声をかけような」


 他種族と接する時の礼儀を繰り返し教える。明るくなった森の中は、午前中の穏やかな日差しが降り注いでいた。ひらひらと蝶々のように舞うシルフの長が近づいて手を伸ばした。


「姫様、触れてみますか?」


「うん、触りたい」


 そっと手を触れると、半透明なのに感触がある。人に触れたのと変わらない感覚が視覚情報と合わず、不思議な感じがした。首をかしげるリリスが再び触れて、にっこり笑う。


「ありがとう。綺麗な緑色で、少し温かいのね」


 リリスの表現に、シルフ達がざわめく。緑は魔力の色だろうが、少し温かいという表現にアスタロトが驚いた。シルフに触れても、感触はあるが温度は感じられない。そういう生き物だと認識されてきたのだが、リリスは違う受け取り方をしていた。


「温かいのか?」


 ルシファーが尋ねると、リリスは元気よく頷いた。


「うん。窓のところでお日様に触るみたい」


 直接的な温度というより、間接的にもたらされる温かさらしい。ぼんやりした表現だが、ある意味的確だ。よく出来たと黒髪にキスをして褒める。


「ここは痛いの? 色がおかしい」


 シルフの長の右足を指差す。驚いた彼は目を見開き、続いて諦めたように報告した。


「実は昨夜も襲撃があり、手傷を負いました。人族は森の木々を伐るだけではなく、森に火を放とうとしたのです」


「今までの報告書にはない手段ですね」


 アスタロトが眉をひそめる。森に火を放つ行為は、回りまわって自分達の首を絞める。人族もその程度の知識はあると思っていたので、レベルの低さに呆れが先行した。


 魔の森の回復力はすさまじい。フェンリルが森の木々を薙ぎ倒しても、数日で同じ姿に戻る。だが回復力には代償が必要だった。無条件で元に戻るわけではない。


 その地に棲む魔物、動物、他の植物、もちろん魔族からも魔力を奪う。魔の森は他者の魔力で維持される生き物のような森なのだ。人族が魔の森を荒らすたび、魔物や魔族から魔力が吸われた。人族も当然吸われているが、彼らはたいした魔力量を持たぬため、軽い体調不良程度で終わる。


 妖精族のように魔力で身体を維持する種族にとって、魔力を強制的に徴収される魔の森の仕組みは危険だった。しかし逆に考えれば、妖精族は溢れた魔力を魔の森に与えることで安定を保っている。持ちつ持たれつの関係なのだ。


 絶妙のバランスで成り立つシルフの森を壊したのが、今回の人族の行動だ。もし人族の放った火が森を焼いていたら、シルフは生存に必要な魔力まで奪われた可能性があった。


「抵抗した際に奇妙な剣で斬りつけられ、このような状態です」


 シルフの長がふわふわした柔らかな衣で隠していた右足を見せる。壊死したように黒く変色した膝から下が痛々しい。観察したアスタロトが「魔力不足、いえ流れの遮断でしょうか」と呟いた。


「触れるぞ」


 断ったルシファーが手を伸ばす。白い手が触れた黒い足がびくりと揺れた。痛みがあるのかと思えば、驚いただけらしい。再び手を這わせて、ゆっくりと手のひらに魔力を集めた。


「アスタロト、人族の拠点を探せ。もし昨夜の砦以外に見つけたら、排除しろ」


 命じられたアスタロトが一礼して姿を消す。見送ったルシファーが集めた魔力を慎重に注いだ。大きすぎる魔力を持つがゆえに、小さな魔力の調整が難しいのだ。調整用の魔法陣をひとつ描いて、再び手のひらを足に当てた。


 じわじわと伝わる魔力と熱に、シルフが細く長い息を吐く。左腕で抱いたリリスがルシファーの手の上に小さな手を重ねた。同じように魔力を集めて色を合わせていく。


「あのね……もっと緑色なの」


 その表現でルシファーは気付いた。色で魔力を見るリリスならば、シルフの魔力に同調させることが可能かもしれない。ルシファー自身の魔力をそのまま注いでも、馴染むまでに時間がかかった。それはシルフにとって負担になる。


「リリス、大事なお願いがある」


「なぁに?」


「リリスの魔力をシルフの緑色に出来るか?」


「出来るよ」


 簡単そうに言うと、うーんと唸りながら魔力を注ぎ始めた。リリスの魔力がシルフへ流れているのは分かる。その流れを読みながら、添わせるようにルシファーの魔力を重ねた。少しすると、リリスはにこにこしながら手を離す。


「手も足も同じ緑だよ!」


「痛みが消えました! ありがとうございます、魔王様、リリス姫」


 嬉しそうなシルフの長、彼の快癒かいゆを喜ぶ妖精達の姿に、リリスは誇らしげに頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る