489. 異世界への流出が判明
剣を召喚した彼女が剣先を勇者アベルに向けた瞬間、ベールが鋭い刃を指先で掴んだ。固定する魔法陣で動きを止める。魔王軍のトップに立つ男の行動に、ベルゼビュートが舌打ちした。
「なぜ邪魔をするの! あなたも斬るわよ?!」
苛立ち紛れに叫んだベルゼビュートの耳に、主の声が届いた。
「落ち着け、タニア」
滅多に呼ばない愛称が聞こえ、ベルゼビュートは驚きに目を見開いた。慌てて剣を消し、床に跪いて礼を取る。最上級の礼で敬意を示した
「傷はもうない。リリスも無事だ。謝罪も受けた」
「ですが……っ」
許せない。敬愛する魔王を目の前で傷つけられた。守れなかった自分も、傷つけた相手も、この状況を招いたすべてが怒りを煽る。ピンクの瞳が感情に揺れた。強い感情を映す眼差しを正面から受け止め、ルシファーは右手を差し出した。手の甲に額を当てて、
混沌とした戦いの時代を知るからこそ、長寿な者ほどルシファーに
「お前の気持ちはわかるつもりだ。しかし僅か200年足らずの寿命の彼らを殺しても、気が晴れるのは一瞬だろう。収めてくれないか?」
収めろと命令されたら従う。収めてくれと
「……わかりましたわ。あなた様の願いですもの」
普段は「陛下」と呼ぶベルゼビュートが、過去と同じ「あなた様」という懐かしい言葉を使う。含むところはあるが、目をつむる意思表示だった。心の底から納得したわけじゃない。感情では殺したいが、ルシファーの頼みだから引くだけ。
今は譲歩したベルゼビュートに、リリスが小さな手を伸ばした。無理な体勢を支える前に、転がるようにベルゼビュートの膝の上に移動する。
「リリスっ!」
「姫様?」
反射的に受け止めたベルゼビュートの胸に顔を埋め、リリスがむぐむぐと何か声を上げている。抱き起した彼女の膝に座り、リリスは手を伸ばしてベルゼビュートの髪を引っ張った。不思議そうにしながら頭を寄せるベルゼビュートの頬に手が触れ、それから巻き毛の頭を撫でまわす。
「ベルゼ姉さん、えらいの」
褒めているつもりなのだろう。目いっぱい身体を伸ばして撫でる幼女に、毒気を抜かれたベルゼビュートが笑い出す。手を伸ばしたルシファーがリリスを抱き上げても、ベルゼビュートの笑みは崩れなかった。口元を緩めたまま「姫様には負けますわ」と呟く。
「ベルゼビュート、安心していいよ。許したのは僕も1回だから」
ぼそっとルキフェルが補足した。この場の大公4人すべてが、1度は譲歩する。2度目はない――なぜなら同じことを繰り返すのは、故意であり敵対の意思と
「話を戻します。事務仕事で構いませんか?」
アスタロトの向けた水に、3人の召喚者は目配せしあって頷いた。
「頑張ります」
「はい、やらせてください」
「お願いします」
それぞれに返った返答で結論が出た。事務仕事を提案したのは、他の仕事が人族には無理だという現実的な問題もある。魔王軍では魔物駆除や離反者の追跡など、強行軍が多くて魔力量が少ない人族は向いていない。これは勇者であっても同じだった。
城内の建築関係はドワーフ、庭はエルフ、侍従はコボルトなど。ほとんどがその業務を得意とする種族が担当していた。研究職も専門知識が必要で、部門によっては数十年単位で同じ研究を続けるため、寿命の問題で人族は厳しい。読み書き計算が出来れば手伝える事務職が、無難な選択肢だった。
「住居問題はあとで解決するとして……ルキフェル、魔法陣の報告は終わりですか?」
「まだだよ」
お茶を飲み干してカップを置いたルキフェルが、水色の瞳を瞬かせる。
「帰還用の逆召喚魔法陣だと勘違いした原因がわかった。あの魔法陣から、異世界に魔力が流れ出てたみたい」
「……流れ出る?」
魔力は体内で循環する。魔法や魔法陣を使えば外に放出されるが、魔の森に吸収されるはずだった。流れ出るような余剰魔力があっただろうか。
「うん、人族は生まれつき魔力が少ない。その原因が、魔法陣で魔力を吸収されたせいかも知れないんだ。数世代にわたって魔力を吸収され、欠乏状態が続いてしまう。魔力が不足すると僕達も体調不良や痛みが出るでしょう? あの状態を避けるために、人族の魔力量が減った可能性がある」
数世代にわたり魔力を吸われ続ければ、生存本能や遺伝情報の伝達に影響を及ぼす。快適に生活するために、魔力を捨てる選択をした種族が人だとしたら? 初代勇者から徐々に人族の魔力が落ちて弱くなった原因が、都の下に刻まれた魔法陣の影響である可能性はぬぐえない。
「……だが、何のために魔力を送る必要がある?」
魔力単体で何かを作り出したり、生み出す能力はない。異世界に魔力を送ったとして、その世界で拡散してしまい効果が出ないのではないか。ルシファーの呟きに、ルキフェルを含めた全員が考え込んだ。
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