389. 私の職分ですよ

 城門が見える位置に転移する。久しぶりに外に出たのだし、散歩しながら帰ろうと考えたのだ。中庭に転移すると、まっすぐに執務室へ連れ戻される。長い付き合いのアスタロトが言い出しそうな案を先に潰しておくのは重要だった。


「……ルシファー様」


「ああ」


 転移した草原で、魔法陣が消えるのを待って飛び出した人影に、彼らは溜め息をついた。足元のヤンがぶわっと元の大きさに戻る。威嚇するヤンが「がうっ」と大きな声を上げた。


「にゃぁ!! る、にゃ」


「リリス、何度も言うがヤンだぞ」


 ニャアじゃない。首を振って真剣に赤子に言い聞かせる。どうやらヤンの威嚇の声に目を覚ましたらしい。ぱっちりと大きな目を見開き、無邪気にヤンへ手を振っていた。以前からお気に入りのフェンリルが多少唸ったところで、恐怖心と無縁のリリスだ。


「魔王! 正々堂々と勝負しろ」


 名乗りもせず宣戦布告するくせに、正々堂々と戦うことを求めるのはどうだろう。今さら人族に礼儀作法を求めようと思わないが、さすがに無礼だ。純白の髪がさらりと風に揺れた。


 無造作に髪を掴んではしゃぐ赤子に頬ずりしながら、目の前の人族を眺める。剣を振りかざす青年が1人、鎧姿の騎士らしき者が5人ほど。神官なのか白いローブで顔の見せない者が2人、魔術師の杖を持つ3人で、人数は二桁に及ぶ。


「正々堂々の意味を学び直してきなさい。待ち伏せする輩が使う言葉ではありません」


 一刀両断したアスタロトが「さあ、陛下。散歩へどうぞ」と笑顔で促してきた。その背後におどろおどろしい黒い幻影が見える気がした。このまま頷いたら、間違いなく血の雨が降る。


「勇者や英雄を自称する輩の処分は、私の職分ですよ」


「いや、ベール達の仕事だろ」


 思わず素で突っ込んでしまった。文官のトップであるアスタロトが出てくるのは違う。武官を束ねる魔王軍総指揮官のベールか、遊撃隊で辺境をうろうろするベルゼビュートならばわかるが……。


「陛下の露払い役です」


 常に傍らにいるのだから露払いは自分の役目だ、そう言い切るアスタロトが優雅に先を進める。その手に従っていいものか。


「露払いでしたら、我もお手伝いを!」


 ぶんぶんと尻尾を振るヤンの声に、ルシファーは考えを放棄した。正直誰がやっつけても大差ないし、会議で「本物の勇者以外は魔王が出向かなくてもいい」議決が出ているので任せる。頷いて、黒い衣の裾を揺らして歩き出した。


「任せるが、散らかすな」


「逃げるのか! 卑怯者!!」


 叫ぶ人族は無視した。それ以上何も言わない方がいいと思う。


「後片付けはお任せください」


 機嫌のいいアスタロトの笑顔に、目の前の人族達が気の毒になる。バラバラにされて、ヤンの配下の餌になってしまう未来しか見えなかった。余計な発言をするものだから、さらに笑顔になっているじゃないか。恐怖に背筋が冷えるが、そのまま頷いて先を急いだ。


 とばっちりを受ける前に離れるのが賢者の行動だ。


「あなた方は陛下の散歩に同行しなさい」


 戦いに加わることを許さぬアスタロトへ、少女達は素直に頷いた。ルーシアが近づき、リリスの前に水で作った蝶を浮かせる。嬉しそうに手を伸ばすリリスの指をかいくぐって飛ぶ蝶が、ぴしゃんと水音を立てて潰された。


 目を見開くルーシアだが、潰した魔力の持ち主はリリスだ。人族から気を反らす目的は達したが、赤子がここまで魔力を操るのは珍しい。興味からリリスに提案した。


「潰さないで捕まえてごらん、リリス」


 くすくす笑って声をかけるルシファーの顔をじっと見たリリスは、ルーシアが新しく作った水の蝶をまた追い始めた。目で追いかけ、指を伸ばし、無邪気に笑う。


 散歩の時間を楽しむため、やや復活した魔の森の方へ足を進めた。

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