388. 今回は経費で落とします

 魔法による攻撃ではない。イポスがそう判断した要因として、殺気に対して魔力が低いことだった。サタナキア公爵を父に持つ彼女の魔力量は多く、魅了を持つ種族特有の敏感な魔力感知能力を誇る。感じた魔力の少なさから、物理攻撃だろうと剣に手をかけた。


「魔王陛下の御前だ。殺気をおさめよ」


 女性らしくない騎士としてのきつい口調で警告する。お前らの殺気はすでに気づかれているのだから下がれ、と逃げる猶予を与えた。しかし膨らんだ殺気は、ぴりぴりとイポスの肌を突き刺す。


抜剣ばっけんの許可を願います」


「許可する」


 後ろの少女達にわかりやすく、上下関係をはっきり口に出してから剣を抜く。無造作に剣を右手に下げているような姿勢は、肩や腕から余分な力を逃がした実力者の証だった。だが敵はそう考えないだろう。斬りかかってくるに違いない。高まる殺気で位置を確認しながら、イポスはゆっくり数歩前に出た。


 誘う動きに飛び出した左側の男の首を落とす。細い女性の腕は重量のある剣を軽々と振り回し、実力差がありすぎる稚拙な敵を排除した。


「うわぁあああ! しねぇ!!」


 恐怖心から雄たけびをあげる少年が右側に飛び出し、一歩下がったイポスがその腕を斬りおとす。振り抜いた剣の先が跳ねるように、下から少年の首を切り裂いた。がくりと膝をついて倒れる少年を見ることなく、イポスはさらに剣を構え直す。


 まだいる。もう1人、少しだけ腕の立つ男が残っていた。足元に広がる血が石畳みの道を汚していく。


「くそぉ! 兄貴の恨みを知れ!!」


 槍を突き出す腕の軌道を読んで、イポスが舞うように身を翻す。斜め前へ右足がステップを踏むように地を蹴り、回転する柄の勢いで槍を折った。すぐに腰の剣を抜く男だが、剣先を頭上へ振り上げたイポスの方が早い。


「イポス、これは残せ」


 振り上げた剣先が、ぴくりと震える。すでに落ち始めている軌道を変えるため、イポスは細く長い息を吐きながら、さらに前に足を踏み出して力を逃がした。


「御意」


 命令に応じる返答と同時に、剣の角度を変えて男の肩を強打した。斬る為ではなく叩く目的で振るわれた剣は、持ち主の技量で敵の命を奪わずに沈黙する。ぼきっと派手な音が響いたので、肩の骨は砕いただろう。しかし殺さずに生かして捕らえたイポスは、慣れた手つきで男を縛り上げた。


 激痛に声もでない様子の男を足元に転がし、イポスは膝をついて騎士の礼を取る。振り下ろす剣の軌道を変更させる無茶を言いつけたにも拘わらず、文句もなく従って首を垂れた。騎士としての立場で振る舞うイポスの、ほつれた金髪が一房頬にかかる。


「お騒がせいたしました」


「ご苦労……、わかったか?」


 前半はイポスへ、後半を後ろの少女達へ投げかける。きょとんと瞬きした少女達だが、最初に状況を理解したのはルーシアだった。侯爵令嬢として代々魔王に仕えてきた一族の少女は、慌てて礼を取って頷く。


「はい。イポス様は遂行なさいました」


 その言葉に、ルーサルカとシトリーも気づいた。少し遅れたがレライエが目を見開く。どうやら全員自分で答えを見つけたと判断し、ルシファーはようやく表情を和らげた。


 魔王に仕える側近達と、魔王妃リリスに仕える彼女達に実力以外の立場的差異はない。だが目の前で跪く騎士であるイポスや護衛のヤンは違う。護衛役であり盾である2人は常に命令に忠実であることを求められた。己の意思で判断して動く職責はない。


 少女達が魔王妃の側近であろうとするなら、リリスに憎まれようと手を汚すことがある。それが盾となる護衛との大きな違いだった。


「やっと、わかりました。私達はリリス様のためなら、命令に逆らうことも求められるのですね」


 ルーサルカの呟きは、先ほどの愚かな質問を悔いるように小さかった。


「……ルシファー様、続きは城でお願いします」


 足元の影がふわりと膨らみ、瞬きの間にアスタロトが現れた。ずっと影に潜んで警護していたが、今回の騒動で獲物は終わったと判断したのだろう。呆れたと声に滲ませながら、イポスに立つよう促した。


「これ以上の敵は現れないと思われます」


「ああ。その……ヤンが」


「見ておりました。屋台の弁償ですね? 今回は経費で落とします」


 ほっとした様子のルシファーがふと気づく。腕の中のリリスが嫌に大人しい。視線を向けると左腕のリリスが大きく仰け反った形で眠っていた。よく落ちなかったと慌てて抱きかかえ直す。


「我が君、ご迷惑を」


「経費だから安心していいぞ」


「安心してもらっては困ります」


 苦言を呈するアスタロトの姿に、少女達はくすくす笑い出した。よい手本が目の前にいたのだ。リリス姫が喜ぶ言葉を告げるだけが側近ではない。机上の空論ではない現実に、彼女らはようやく新しい一歩を踏み出した。

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