77. 守ってやる余裕はないぞ

 廊下に倒れた者を救助する余裕はない。警備上の理由で転移が出来ない魔王城の中を、アスタロトは翼を広げて駆け抜けた。


 普段は絨毯が敷かれ花や絵が飾られた廊下も、今は戦場のような有様だった。壁や天井の破片が落ちる床を走らず、宙を駆ける形で辿りついた王の私室は素通しだ。扉さえ残っていない。


「陛下っ!」


 そのまま飛び込んだアスタロトの目に、元の姿を想像することが出来ないほど崩れた室内が飛び込んだ。まだちろちろ燃える炎と焦げ臭さ、壁は吹き飛ばされて屋外と通じている。天井も半分ほど壊れ、家具は形もない。


「ルシファー、様……?」


 唯一の救いは、この部屋の惨状に関わらず死体がないことだ。ルシファーはもちろん、リリスの姿もなかった。見回した部屋に踏み込むと、磁気嵐のように乱れた魔力の欠片が散らばっている。アスタロトでさえ、気分が悪くなるほどの魔力量だ。


「っ……アスタ…ロト、閣下」


 振り返ると駆けつけた兵が入り口で倒れる。強すぎる魔力にてられて、身動きが取れないらしい。咄嗟に魔力を遮断する結界を展開するが、完全に防ぎきるのは不可能だった。


 これほどの魔力量があり、またふるえるのは――魔王のみ。


「あ、ありがとうございます」


 助けられたことに気付いた侍女や兵の礼を右手で遮り、せわしなく確認した室内の様子に眉を寄せた。残った魔力は魔王ルシファーのもの、そして覚えがないもの。2つしか感じ取れなかった。つまり魔王を襲撃した誰かが存在する?


「誰か、陛下のお姿を見たものは?」


「いいえ」


 誰もが首を横に振る状況に、ますます確信が募った。


 現在のルシファーは逆凪のせいで、右腕や翼が使えない。戦力が落ちた状態の魔王をが襲撃し、彼は咄嗟に反撃したのだろう。翼自体は溢れて顕現した魔力の塊でしかないが、全身の流れが乱れる現状で広げたならば、膨大な魔力を制御しきれなかった可能性が高い。


 暴走した魔力が魔王城を護る魔法陣を吹き飛ばして、城を破壊した。ルシファー自身の魔力ならば、魔王城など簡単に吹き飛ばせるのだから。


「私は陛下を追う。後はベール大公の指揮下に入れ」


 明らかにいつもと違う厳しい口調で命じる。答えを聞かずに中庭へ飛び降りた。魔力を高めて転移先を魔王ルシファーの魔力に指定して飛ぶ。






 着地点で弾かれてコウモリの羽を広げた。魔力の不自然な高まりを感知して、結界を展開する。魔法陣を使う余裕がないため、魔力の大量消費を承知で強引に結界を張った。


 攻撃的な光が周囲を満たし、半狂乱になった感情が棘のように散乱する。空気自体が攻撃の意思を孕んで、ぴりぴりとした痛みをもたらした。


 バシッ!


 激しい音で結界が光り、攻撃を防いだ。軋む音がぎしぎし響き、さらに魔力を削られる。歯を食いしばって攻撃を凌いだアスタロトは、目の前の光景に息を飲んだ。


「陛下…?」


「アスタロトか、守ってやる余裕はないぞ」


 振り返りもしない魔王の姿は散々だった。服や髪は切り刻まれ、血だらけの肌がのぞく。


 当然だと頷き、背後に魔法陣を展開させる。その場所まで後ずされば、魔力だけで無理やり作り出した結界を解除した。制御された魔法陣の上で、やっと安堵の息をつく。


 ルシファーは左腕を前に突き出し、強大な魔力を防いでいた。その腕にいるべき幼子の姿はない。無理やり引き出した黒い翼は血塗れ、舞い上がる髪は魔力に煽られて重力に逆らった。


「リリス、落ち着け。パパは大丈夫だから……深呼吸して」


 穏やかな声で語りかける先、ルシファーへ向かって攻撃を放っているのは――養い子であるリリスだった。真っ赤な瞳がらんらんと輝き、いつも愛らしく笑っている口元は歪んでいる。その頭に浮かんだ光の輪は、彼女の種族的特長だろうか。


 魔族の中でも珍しい翼を広げて宙に浮かぶ。年齢に見合わぬ大人びた顔でリリスは涙を零しながら笑った。残忍さを滲ませた表情に息を飲んだアスタロトだが、同時に彼女の姿から目を離せなくなる。

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