463. 踏みにじられた誇り、切り捨てる決断

 震える後輩からようやく聞き出した話を、近くの紙に書き連ねたイザヤは頭を抱える。


 想像以上に失礼な発言と、阿部の対応がバカ過ぎた。やっぱりこの男に任せたのは失敗だったと再認識するが、今頃後悔しても遅い。彼らは腹を立てているだろう。その場で殺さなかった魔王の寛大さに頭が下がる思いだった。


 魔王に攻撃した勇者である阿部も、不意打ちを狙って矢を射かける無礼をした自分も、彼に断罪されて当然だった。


 竜の手で阿部を引きずってきた水色の髪の少年が「魔王の決定に口出しするなんて……あんた、何様のつもり?」と呟いたことで、イザヤも多少なり誤解した。魔族の頂点に立つ王の言葉を遮り、意見するなど失礼にも程がある。


 この世界の王族は、きっと前の世界の某国大統領以上の権限を持っている。人族の国王ですらあれだけ傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いが許されたのだ。人族より強さを尊ぶ魔族の王に対して反論するなんて……そう思った。


 しかし違う。


「……バカなことを」


「お兄ちゃん?」


 きょとんとする妹をベッドに座らせ、隣に座る。撫でてやると肩を枕に楽な姿勢を取ろうとした。ふわふわしたドレスで誤魔化されているが、手首や首筋は痩せ衰え、頬もこけたまま。こんな身体では起きて座ることも辛いだろうと、横たえた。


「え? 恥ずかしい」


 照れる妹の目元を手で覆い、休むように言い聞かせた。少し先のテーブルには、いつでも食べられるように軽食や果物、飲み物が用意されている。この恵まれた状況は魔王が城への滞在を許したからだ。そうでなければ、魔王を攻撃した自分達はとっくに殺されていた。


「誰も笑ったりしない。今は身体を休めろ」


 男であり年長である自分でさえ辛い状態なのだから、4歳下の妹はもっと辛い。イザヤはぶっきらぼうな口調だが、優しく妹の髪を撫でた。以前は髪や肌に気を使って艶があった美しい黒髪も、今はばさばさだ。栄養失調の肌はかさかさと白く粉をふいた。


 可愛い妹をこんな状態にした連中が殺されても当然だと思う。竜の少年ルキフェルも口にしていた通り、鱗を生きたまま剥がれ、毛皮を奪われた魔族もいたはずだ。王族や貴族の着飾った姿を思い浮かべた。豪華な衣装に使われた革の正体を知った今は、吐き気がするほど醜い姿だった。


 盗み聞きをしてそんな奴らを庇う発言をしたなら、当然ルキフェルだけでなく魔王も不快に思ったはずだ。ましてや自分達は魔王に攻撃を仕掛けた敵側の人間だった。寛大に振る舞う理由はない。


 しかし最大の問題点はではなかった。まず最大の問題は、当事者の阿部が己の失態を理解していないことだ。


「阿部は……なぜ彼らを怒らせたか、わからないのか」


「わからない」


 即答する後輩の頭を殴ってしまいたかった。僅かでも俺より付き合いが長く、彼らに保護されて感謝し、助力を求めて与えられたのに……どうしてわからない。


 魔族は強さを尊ぶ。ならば、最強の魔王はただ強いだけか? いや、彼らの社会は俺がいた国と同じように法治国家として確立していた。きちんと議会があり、話し合いを行う余地も残している。魔王であっても独断専行どくだんせんこうは許されない。


 そんな魔族を見ていれば気づく。強者は弱者を保護して守る義務を負っているのではないか。弱者を喰らう弱肉強食の面もあるが、俺達を助けてくれた彼らの行動は『保護』だった。


 保護した相手の精神面を気遣って下げた場に、「自分に不利な話がでると困る」と顔を出す非礼。その発言は保護すると明言しただった。


 保護された勇者が不安を感じて自分を守ろうとしたセリフは、『魔王の保護じゃ足りない、怖い』と言い放ったも同然。本人にそんなつもりがなくても、言い訳は通用しない。阿部は多くの配下の眼前で、魔王を侮辱して罵った――、と。


 おそらく人族の扱いに関する話を聞いてくれたのは、彼らなりの最後の恩情だった。しかしそこでも阿部は地雷を踏んだ。合議制で決まった内容を覆そうとしたのだ。己が知る自分達だけにしか通用しないルールを持ち出し、魔族の考え方を批判した。平和な世界ではないのだ。


 この世界のルールに従わない異世界人に居場所はない。生きるために殺す場面で躊躇うことは、優しさではなく弱さだった。弱いなら強者に従えばいい。そうしたらこの世界は受け入れてくれるのだから。その寛容さを蹴飛ばして踏みにじったくせに自覚がない阿部に、未来があるとは思えなかった。


 考えられる限り最悪の状況に、イザヤは阿部を見捨てる決断をする。大切な妹を守るために、愚かな後輩を切り捨てる――そこに迷いはなかった。

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