927. 戦いそっちのけのやり取り

「え?」


「毒だ……先に解毒する」


 治癒の速度が遅かったのは、毒の回った肉が腐るのを食い止めたからだ。このまま表を塞いでしまえば、いずれ足が腐り落ちる。解毒用の魔法陣を描き、複数を同時に使用した。どれが効くか、毒の種類がわからないので纏めて使う。


 魔力が余っている魔王ならではの手法だった。アベルが心配そうに振り返りながらも、剣を構えて人族への警戒を続ける。その姿に気づいた男が瞬きし、アベルを指さした。


「お前! 勇者一行にいたぞ」


「裏切ったのか!」


「くそっ、卑怯者め」


 むっとしたルーサルカだが、治癒する対象であるヤンから離れるわけにいかない。


「うるさい! 先にアベルを裏切ったのは……」


 あんた達じゃない! そう叫ぶ声を遮ったのは、ほかならぬアベル自身だった。眉を寄せて表情を歪め、嫌そうに吐き捨てる。


「俺があんたらの仲間? 冗談だろ、いきなり呼び出して閉じ込められ、無理やり戦わされただけだ。一度だって俺達を認めなかったくせに」


 日本人に対する扱いの酷さを、彼らは目の当たりにしていた。柔な育ち方をした子供が足を引きずり、貴族出身の偽勇者達の荷物運びをさせられる。その姿を見て、どうして「勇者一行」の仲間だと思う? 使役される馬や牛の方がよほど待遇がいい。


 まともな食事を与えられず、やせ細ったガキが魔王退治の勇者と共に戦う? 荷物の重さに潰されそうになりながら素足で歩かされる奴が、戦えたと思うか? どう見たって家畜以下の扱いじゃないか。


「ああ。恨みがあるなら、君にも少し分けてあげようか?」


 ルキフェルの誘いは、まさに悪魔の囁きだった。美しく光に透ける水色の毛先を弄りながら、白い肌の青年は笑う。圧倒的強者の立場で、アベルに選択肢を突き付けた。


 この手を取って、復讐しよう。そうそそのかす声に、アベルが頷きかけた。しかし後ろからルーサルカが叫ぶ。


「そんなことしたら、お義父様に言いつけるわ」


「それは困る!」


 即答で我に返ったアベルが、ルキフェルの申し出を丁寧に断った。大公の獲物を奪うわけに行かないとか、そんな理由を添えて。くすくす笑うルキフェルは「悪戯失敗か」と肩を竦める。アベルがどちらを選んでも構わなかった。


「ちょっと待ちなさい! 代わりにあたくしが貰うわ」


 野生の勘か、何か察したベルゼビュートが転移する。こぼれんばかりの胸が揺れて、一部の剣士が目を奪われて慌てて逸らした。魔術師の中に数人いた女性が殺気を放つ。スタイル抜群の美女が見せつけるような衣装をまとい、実際に仲間が敵に目を奪われる姿は腹立たしいだろう。


「なに、ベルゼは関係ない」


「だって余ってるんでしょ?」


「余ってない」


 子供の言い争いに変化していく2人に、ルシファーが声をかけた。


「半分に分けなさい」


 気分は子供のおやつを分ける母親である。それぞれに返事をして獲物を分ける相談を始める2人に後ろを任せ、ヤンの様子を窺う。毛皮から覗く鼻が湿っているのを確認し、やっと傷を塞ぐよう指示した。


 焼け焦げていた毛皮も一緒に修復される。ヤンの説明では攻撃されて避けた先で罠を踏んだらしい。逃げられない状態で威嚇したら、魔法による炎で焼かれたのだとか。なんとも非道な連中である。


 解毒が効いて治癒した毛皮はふさふさだ。尻尾を振る子犬ヤンを抱っこしたリリスが、ルーサルカやルーシアの手を借りて傷を塞いだ。しばらく眺めた後「魔力の色も問題ないわ」と安堵の息をついた。直後、首根っこを掴まれて、ヤンはルシファーに捕獲される。


「いま、胸に触れなかったか?」


「ひっ……手を丸めておりました故、触れておりませぬ」


 必死で説明するヤンは、いまの見た目だと子犬だった。尻尾をくるんと巻いて足の間に挟んだ姿は、哀れを誘う。リリスが奪い返してぎゅっと抱き締める。焦ったヤンは逃れようとして、うっかり胸のふくらみを押してしまった。肉球がぐっと沈んだ瞬間、ぞっとする殺気に晒される。


「ヤン?」


「ふ、かこうりょ、くで……」


「ルシファー、後で膝枕してあげるからヤンを虐めてはだめよ」


 リリスに叱られ、でも後で膝枕と聞いたルシファーは複雑そうに頷く。魔王と魔王妃がじゃれる後ろでは、殺伐とした戦場が展開していた。

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