941. 犬みたいに扱っちゃダメよ

 何を約束したのか気になる大公女達の質問攻めに、リリスは笑顔で「内緒」と答える。ご機嫌なのは一目瞭然で、ルシファーも自ら言い出した約束だからか。にこにこと見守っていた。平和な時間が流れているが、この場はついさっきまで殺戮現場だった森の一部である。


 アベルを伴ったルキフェルとベールが帰ったので、だいぶ人数が絞られた。護衛は当初の配置通りヤンとイポス、大公女4人とおまけの翡翠竜、大公ベルゼビュート、お披露目中の魔王と魔王妃――豪華メンバーだ。魔獣の領地を回る予定だが、魔熊はさきほど会えたし……大量の餌の片付けに忙しいだろう。


 訪ねて行ったら血塗れで平らげている最中かも知れない。魔熊が持ち帰った大きな欠片をよそに、魔狼はベルゼビュート達が切り刻んだ小さな肉塊を持ち帰った。彼らも今頃大宴会の最中だと思われる。


「我が君、向こうに鹿と豚がおりますぞ」


 ヤンと並ぶ大きさを誇る魔鹿の集団は見ごたえがありそうだ。以前に見かけた際、アベルが「ヘラジカ」と評していたが、彼の世界にも大きな鹿はいたらしい。人族が家畜とする馬や牛より格段に大きいのが特徴で、繁殖期の春以外は角を落とす。森を通り抜ける際に引っかかって大変だと聞いたが……。


「鹿から行くか」


「かしこまりました」


 なぜかぺたりと伏せたヤンをぽんぽん叩いて「歩くからいいぞ」と告げれば、意外そうな顔をされた。リリスを育て始めてから、彼女が喜ぶのでヤンの背に乗ることが増えていたと気づく。よく考えたら、ヤンは6代目セーレを引退して老後生活に来たのだ。


 のんびり老後を過ごすはずが、魔王城でリリスのおもちゃにされ、魔王のソファになり、門番やら護衛を押し付けられ、時々背中の毛を焼かれたりしながらも、鳳凰族の雛を育てている。先日からの罰でピヨと引き離してしまったが、悪いことをした。ピヨへの罰なのに、ヤンやアラエルに高い効果が出た気もする。


「好きに走り回っていいぞ」


 運動不足だろうと優しく声をかけると、複雑そうな返事が降ってきた。


「陛下、我はもう子狼ではないのですぞ」


「そんなのは見ればわかる」


 何を当たり前のことを……首をかしげるルシファーの袖を引き、リリスが通訳した。


「違うわ。ヤンはちゃんと役目を果たせる立派な護衛だもの。犬みたいに扱っちゃダメよ」


「……犬扱いはどちらかといえば、姫の方が……」


 何度直しても「わんわん」と指さされた記憶も新しいヤンだが、生まれて14年前後のリリスにとって数年前は遠い過去である。きょとんとして覚えてないと示す有様だった。苦笑いしてヤンの首筋を掻いてやり、隣を歩き始める。


 ヒールの高い靴を禁止したため、ローファー程度のお洒落靴の大公女達は足取りも軽い。魔族である以上、貴族令嬢のようなワンピース姿でも木々の間をすり抜け、下生えが生い茂る足元も気にせず先に進んだ。


 虫よけはハーブを使う種族もいるが、ベルゼビュートがいれば問題ない。彼女が作った水と風を混ぜた膜が、足元まで虫を拒んでくれた。ルシファーは虫に刺されても刺さらない頑丈タイプだが、大公女達はそうはいかない。魔王の結界内に取り込んだこともあり、ほぼ完ぺきな防虫体制だった。


 ご機嫌で先頭を歩くベルゼビュートが、精霊を使って森の木々を避けさせる。大きなヤンが続き、ルシファーとリリスが影を歩いた。大公女達が後ろに並び、最後をイポスが守る。完璧な布陣でたどり着いた先は、大きな池だった。


 水を飲むため集まった魔鹿の群れが、慌てて魔王の前で膝を折る。伏せて姿勢を低くする彼らの首筋を撫でて挨拶し、リリスも笑顔で真似た。恐縮する彼らに足りないものはないか尋ね、冬支度の邪魔をしないよう早めに引き上げる。


 池の中を覗き込んだルーサルカに、シトリーが歩み寄った。


「どうしたの? 魚でもいる?」


「あれ……何か沈んでるみたい」


 ルーサルカの獣の目が、揺れる水底にある物を見極めようと収縮する。目を細めて何とか確認しようとするルーサルカの肩を叩き、ルーシアが水に手を入れた。池の水は水の精霊族である彼女に従う。水底にある何かをゆっくりと引き上げた。

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