942. 精霊女王のご乱心

 ゆらゆらと近づく何かを、食い入るように見つめる。水面に映るのはルーサルカ、シトリー、ルーシアの3人だった。リリスの側で曲芸を披露する翡翠竜とレライエは別行動だ。その水面に、別の影が映った。


「なにそれ、変な物みつけたのね」


 ピンクの巻き毛を指先でくるくる弄りながら、ベルゼビュートが覗き込む。少女達が水辺に集まっているので、気になった。何かを発見したらしく、興味と好奇心から回収を試みたのだろう。上手に水の抵抗を逃がして持ち上げるルーシアに感心しながら、ベルゼビュートが指先を水に入れた。


 跳ね上げるようにして飛び出した品物は、人の頭程度の大きさがある。水底にあったときは拳大に見えたので、思ったより大きかった獲物に彼女らは顔を見合わせた。池の脇に転がるのは……半透明の球体だった。水晶のようにも見える。


 拾い上げたベルゼビュートが平然と素手で触っているが、大公女達は眉を寄せる。得体の知れない物にむやみに触れないと教えられたのだ。相手が大公なので何も言わないが、これがリリスなら大事件だった。今後の対策として、変な物を見つけたら水や風で包んで隔離しようと彼女らは心に誓う。


「特に何もなさそうよ」


 8万年以上生きて、僅か14歳前後のリリスと同等に扱われていると知らず、ベルゼビュートはにっこり笑った。誤魔化すように曖昧な笑みで誤魔化したルーシアが、そっと手を伸ばす。触れた球体は温かい気がした。ずっと水の中にあったのに、ほんのり体温より温度が高い。


「でも変です。鉱石なら冷たいでしょう?」


 指摘したルーシアに続き、シトリーも指先でつついた。


「本当だ。温かくて気持ち悪い」


「そうかしら」


 首をかしげるが、温度は確かに高い。くるくる回してみると、中央に何かがあった。じっと覗き込むベルゼビュートの脇で、ルーサルカが不思議そうに指摘する。


「ねえ、透明なら気づかなかったわ。さっき、確かに赤い色していたもの」


 赤くて光る物体が沈んでいるから引き上げようとしたのだ。なのに、取り出したら透明だなんておかしい。ルーサルカの言葉に呼応するように、球体が光った。


「逃げて」


 叫んだのはリリスで、慌ててルーシアが結界を張る。しかし離れていたベルゼビュートは、きょとんとした顔でまだ覗いていた。その姿に違和感を覚え、ルシファーが乱暴に呼ぶ。


「おい、ベルゼビュート」


 呼ばれたベルゼビュートが振り返る。球体を大切そうに胸に抱き締め、うっとりとした表情で幸せそうに笑った。瞬間、嫌な予感に襲われたリリスが「早く、皆こっちよ」と手招きする。リリスの異常な反応に、ルシファーが大公女達に結界を重ねた。


「なにっ!?」


「きゃあああ! ベルゼ姉さん、ダメよ」


 きん! 甲高い音で結界が銀の閃光を弾く。空から降った亀事件で、ルシファーがベルゼビュートに与えた聖剣グラシャラボラスだった。右手に球体を抱き、左に聖剣の柄を握る美女は笑顔で再び攻撃を仕掛ける。己の結界では防げなかった攻撃に、ルーシアの腰が抜けた。


 叫んだリリスが飛び出そうとするのを、イポスがしっかり捕まえる。後ろでヤンが毛を逆立てて唸った。だが相手が見慣れた大公ということもあり、剣に手をかけることをイポスは躊躇う。


「イポス、抜刀しろ」


 命じながら、ルシファーがリリスを抱き寄せた。泣きそうなリリスに頷き、大丈夫だと額にキスを落とす。大きく息を吸ったリリスは目に涙を浮かべるものの、もう平気と頷いた。彼女が落ち着いたのを確認し、空いた手に魔法陣を呼び出す。


 魔王ルシファーの結界は1枚、半円をかぶせた形の上部に白くヒビが入る。次の攻撃はもうもたない。青ざめた彼女だが、ルーサルカが咄嗟にシトリーの手を握り、引き寄せてルーシアに覆いかぶさった。

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