1206. 緊急事態を宣言する

 獣人の住む集落が水没したと連絡を受け、ルシファーは転移して目を見開く。今まで数百年、氾濫の気配がなかった川が濁流となって、集落を飲み込んでいた。近くの丘に逃げ延びた者は、ルシファーを見るなり小さな屋根を指差す。


「魔王様、あそこに」


「子どもがいるんです。助けてください!!」


「お願いします」


 自らの体が膝下まで泥水に浸っていても、屋根の上に取り残された犬獣人の子を心配する。彼らの声を無駄にするわけがなかった。


「わかった。お前達も流されないように注意しろ」


 子犬姿で震える幼児を、転移で呼び寄せる。手元に抱き上げてほっとしたとき、足元で悲鳴が上がった。流木に足を掬われた数人が、濁流に飲まれる。大急ぎで下流に網を張った。魔力で無理やり作った網に、獣人達が這い上がってくる。流されたのが大人ばかりだったので、体力的には余力があった。


「全員まとめて魔王城に転移させるぞ」


「うちの旦那がまだ山に」


「お前達を送ったら探す、心配するな。旦那の特徴を教えてくれ」


 上流で響く奇妙な音の正体を確かめるため、村長の長男が山に入ったらしい。単独で、黒い毛の猫獣人だ。まだ幼児を抱いた妻が半狂乱だが、一緒に魔王城の中庭へ送った。この状況でパニックを起こした者を守っている余裕はない。腕の中の子犬は、別の狼獣人に預けた。人がいなくなった村は、さらなる流木に砕かれて押し流される。


「こんな災害、数千年に一度だぞ」


 眉を寄せて山の方角を探る。獣人系は魔法を使うほど魔力がない。魔獣の反応を弾きながら、山にいるという猫獣人の魔力を辿った。


「これ、か?」


 魔獣とは違う気配を結界で覆い、その目の前へ転移した。ぐったりとした様子で大木の枝にしがみ付く男は、やや丸みを帯びた獣耳をぴくりと動かす。腰から下は崩れた土砂に埋もれていた。


「下の集落の村長の息子、間違いないな」


 土砂から這い出そうと足掻いたのだろう。努力の跡が窺える彼の両手は、泥だらけだった。周囲にも泥を掻いた跡が残っている。


「妻子が待っている、急ぐぞ。まだ死ねないだろう」


 頷く彼を泥ごと中庭へ送る。それから逃げ遅れがいないことを確認し、ルシファーは魔王城へ戻った。中庭は驚くほど多くの種族が避難し、人で埋まっている。


「そっちの子はルカがお願い。ライとリーで、この辺を乾かしてあげられる?」


 休暇に入るはずのレライエを含め、大公女達は避難した魔族の手当てに当たっていた。ヤンを連れたリリスはテントで指揮をとりながら、自分も治癒魔法を駆使する。面倒くさがりな彼女らしい大技で、まとめてケガを治していく姿は豪快だった。


「ルシファー! ちょうどよかったわ、この子をお願い」


 ただいまの挨拶に近づいたルシファーへ、抱っこした子猫を手渡す。獣人ではなく魔獣のようだ。母親と逸れたのだろう。くーんと鼻を鳴らして不安そうに匂いを嗅ぐ。まだ目も開いていなかった。猫ではなく豹か? 模様を確認するが、赤子では確定できない。ローブに爪を立てる子は震えていた。


 未曾有の大災害なのは間違いない。ひとつ息をついて、城の地下を流れる地脈から魔力を吸い上げた。それを一気に解放して、疲労とケガを回復させる。


「非常事態を宣言する。魔王城の最上階以外をすべて解放! 種族階級に関わらず、部屋と備蓄の使用を許可する」

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