56章 海という新たな世界

779. 海からの侵入者と黒い灰

 リリスが発言を止めたことに、アスタロトとベールは安堵した。思ったより複雑な事態に、ここで暴露されて彼らへの誹謗中傷や差別の原因になったら、庇いきれないからだ。


 魔族にそういった傾向は少ないが、今回の事件は大ごとになり過ぎた。魔力不足は子供達にも被害が出たこともあり、神経質になった種族もいるはずだった。


「では……」


 詳細は後でお伺いしましょう。そんなセリフが続くアスタロトの声が途切れる。ざわざわと騒がしい足音が近づき、謁見の間に続く廊下の扉が開かれた。そのまま人々の間を抜ける前に、飛び込んだ人影が声を発する。


「ご報告申し上げます」


 ざっと人波が動いて、場所を開ける。中央が開けた扉の前に、魔王軍の伝令であることを知らせる旗を手にしたドラゴンがいた。きっちり敬礼した彼をベールが手招く。


「何がありました?」


 興味深そうな貴族の視線を無視し、最高司令官である魔王の前に膝をつく。それから手前で報告を促すベール達に一礼した。


「海の監視任務中、複数の小型な魔族の上陸を確認しました。それから霊亀と思われる巨大な魔力が近づいております」


「ベール、現場で指揮を取れ」


 ルシファーの指示で、ベールは一礼して人々の間を駆け抜けた。大公としての姿で走ることは少ないが、中庭に抜けるまでの間に軍服へと着替え終える。足早に中庭へ抜け魔法陣を描いた。


「あたくしも連れて行きなさい」


 魔法陣に飛び乗ったベルゼビュートは、窓から飛び出したらしい。薔薇の間を走り抜けたドレスから、甘い香りがする。一瞥したベールは無言で魔法陣を修正し、2人の大公は転移した。






 報告に訪れたドラゴンの青年は、少し青ざめている。疲れを労い、休むように命じたルシファーが眉をひそめた。


 窓を開け放して飛び出したベルゼビュートも向かったが、霊亀が戻ってくる理由がわからない。不安要素があるなら、自分も海へ向かうべきか。部下の報告を待つ方がよいか。


「陛下、一先ずベールの報告を待ちましょう。城下町の民が炊き出しを行う許可を求めております。貴族も含め、食事や休憩を取って休ませる必要があります」


「手配は任せる」


 行事を中断して遅くまで休んだが、ほとんどの魔族はまだ魔力が回復していない。魔王城の中庭という魔力スポットで、地脈から魔力を補ってもまだ体調不良を訴える者もいた。まだ僅か一夜明けただけなのだ。


 海からの報告が不吉な予兆であり、今後も魔力が必要な状況になるなら、魔力量の多い貴族の回復は最重要となる。大きく頷いて同意したルシファーの発令で、貴族達を中庭へ戻した。


 ぞろぞろと移動する彼らに、不調があれば隠さず申し出るよう告げるルキフェルが、魔法陣片手に先頭に立つ。先に退出したルシファーとリリスは控えの間にいた。すぐにアンナ達日本人を連れて、アスタロトが入室する。


 4人の側近少女達は中庭の手伝いを申し出て、アスタロトに許可された。リリスの後ろに立つイポスとヤンを残し、部屋は閉ざされる。


「先ほどの話を詳しく……頼めるか?」


 顔色の悪い彼らにソファを勧め、途中でアスタロトに話を向ける。彼らを落ち着かせるために、お茶のセットを始めたアスタロトがハーブティを並べた。香り高く温かな湯気に、並んで腰掛けた彼らの表情が和らいだ。


「私達のいた世界が消失したなら……おそらく汚染力の強い爆弾が使われたと思います」


 かつて2つの都市に使われた、不吉な黒い灰を降らせる兵器を説明した後、イザヤはひとつ溜め息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る