315. 平和は唐突に破られる

 甲斐甲斐しくつがいのピヨに焼き菓子を咥えて運ぶ鳳凰アラエルだったが、何度も聞こえる城門の轟音が気になり始めたらしい。時々後ろを振り返り、諦めた様子でルシファーにお茶会の中座を申し出た。


「魔王陛下、恐縮ではございますが……」


「城門へ戻るのか? だったらオレも行こう」


「私も!」


 勢いよくリリスが手をあげる。ルシファーは気にした様子もなく頷いた。


 アデーレの淑女教育でつちかったおしとやかさは、リリスの中で都合よく解釈され適用される。すなわち外から来た貴族用の態度は上品にお淑やかに、自分を大切に愛してくれるルシファーに対しては素で接して構わない、というものだった。


 途中で勘違いに気づいたアデーレが修正を図ったが、最終的にこの形に落ち着いた原因は言うまでもなく、魔王ルシファーの言動にある。


 淑やかな挨拶をしても抱き上げて甘やかし、今までのように親しく振る舞うよう懇願してしまったのだ。距離を置かれた様で寂しかった……と後日言い訳したルシファーだが、教師達が再教育を諦めるのは早かった。


 どこまでも娘を甘やかす魔王に、彼女らは苦笑いして降参したのだ。


 その後、貴族間において新たな議論が起こった。魔王に次ぐ立場の妃であるリリス姫に、他者への礼儀作法がどこまで必要か。夫となる魔王以外にへりくだる必要がなく、最上位の魔族女性となる姫が、他者にカーテシーをする機会もないのだ。そこでリリスへの教育方針は大幅に変更された。


 他者を見下したり差別をせず、優しく接するリリスの長所を伸ばす方向で、教師達は一致団結した。


 ダンスや食事のマナーなどは厳しかったが、それ以外はリリスの個性を重視してきた。大変だったのはリリスより、側近として育てられた4人の方だ。


 元が貴族家のルーシアとシトリーは問題ないが、騎士家のレライエや庶民だったルーサルカの苦労は並大抵ではない。カーテシーはもちろん、貴族との挨拶ですら身についていなかったのだから。しかし彼女らはリリスに励まされ、必死で努力し追いかけた。


 今では貴族令嬢の手本と呼ばれ『姫の盾』とまで称される献身ぶりが、魔族の間に広まっている。


「御前失礼いたしますぞ」


 慌てて追いかけるピヨを咥えて背中に乗せたアラエルが先に飛び去り、見送ったリリスが指摘する。その足元をヤンがすり抜けて追いかけた。


「アラエルは転移でいけばいいのに」


「……アイツは慌てると前後が見えなくなるからな」


 アラエルは早合点したり勘違いして行動することが多い。考えてみれば、最初にピヨを攫った時もそうだった。小さかったヒナがフェンリルの口に出たり入ったりして遊ぶ姿を見て、番が食べられると思い込んで誘拐事件を起こしたのだ。まあ、勘違いしても仕方ない状況だが。


 フェンリルにとって、鳳凰の毒は危険だ。間違えて口の中で牙によって傷つけでもしたら重態になってしまう。それを除いてもピヨを傷つけないため、口に入ると都度吐き出していた。ピヨはそれを新しい遊びと捉えて、毎回大喜びでヤンの口に突入する。後から考えると迷惑な習慣だった。


 ちょっと遠い目をしたルシファーの足元に、転移用の魔法陣が浮かんだ。中心に立つルシファーと手を繋いだリリスの後ろに、護衛騎士のイポスが付き添う。


「一緒に行くか?」


「「「「お願いいたします」」」」


 彼女らが姫の盾と呼ばれるようになったのは、一昨年の魔物の大暴走が原因だった。ピクニックに出かけたリリス一行の前に現れた大きな群れから、魔王妃候補を守った4人の少女の勇敢さと忠義、その強さが噂となって魔族の間を駆け巡ったのだ。


 あっという間に広まった噂は、ベールやアスタロト達が故意に広めた。多少の脚色はあったが、内容はほぼ実話なので問題ないだろう。どうやら側妃を擁立しようと画策する貴族がいたらしい。その対策として、リリス姫の名声を高める方法を取ったのだ。


 これほどの実力者が心からの忠義を捧げる姫は、魔王の唯一の妃に相応しい。民の間に広がった認識は、いつの間にか固定観念に変わった。本人たちが知らぬ裏側で、側近達はあれこれ陰謀を張り巡らせて着々と足元を固めていく。怖いほどに有能な部下だった。


 全員が魔法陣に乗ったのを確かめて、一瞬で城門の上に転移する。下を見ると、すでに駆け付けたアラエルやヤンが城門をふさぎ、その前面でアスタロトが数人の人族と対峙していた。

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