700. 海の底に沈んでた

 ルーサルカ達を伴って戻ってきたルキフェルが、ほくほく顔で席に着く。無事『瑠璃の鱗』と『翡翠の鱗』の物々交換は完了したらしい。ルシファーとリリスを中心に、円卓の両側は大公が陣取った。必然的に向かい側に少女達が座ることになる。


 休憩をとるためにラフなワンピース姿だった彼女らは「着替えなくちゃ」と焦ったが、「別にいいよ、非公式だから」とルキフェルに止められてワンピースのままだ。ルシファーも大量のアクセサリーを外して髪を下したし、リリスは淡い緑のワンピースだった。


 きちんと着飾ったままなのはアスタロトとベールのみ。ベルゼビュートも胸元が大きく開いたドレスから、愛用のローブ姿へ着替えている。ルキフェルは迎えに行った先で、髪留めやアクセサリーのみ外した程度で、ベールの隣に陣取った。


「ねえ、こっちへ座らない?」


 リリスが手招く子供は、ルーサルカの顔をじっと見て首を横に振った。彼女の隣がいいと示され、くすくす笑うリリスは気分を悪くした様子はない。それどころか「仲良しね」と微笑ましそうに認めてしまった。


 大きな円卓の上には、ターンテーブルが用意されている。大量に積まれた食材を、ターンテーブルを回すだけで取り分けできるのは便利だが、それ以外にも意味があった。魔王城の公式の食事会で、ターンテーブルは使用されない。つまり、非公式であると強調する意味も兼ねていた。


「好きなのを食べていいぞ」


 ルシファーの許可を得て、子供は椅子の上に立ち上がる。まだ子供で身長が足りず、椅子に立たないとターンテーブルの料理に手が届かなかった。


「取ってあげるわ」


 ルーサルカが取り皿を手に子供が興味を示した料理を取り分ける。串に刺した肉、コカトリスのから揚げとサラダ、焼き魚、焼き立てのロールパンや平べったいパン、炒めた米類など……多種多様な料理を眺めて指さす子供は、小声で礼を言うと手で食べ始めた。


 ルーサルカは迷ったが、視線があったルシファーが頷くと注意をやめる。まだ幼い年齢ということもあるが、親がいない環境なら子供にとって手による食事が当たり前の可能性もあった。せっかく食べる気になっているのに、小言で気持ちや食欲を減退させる必要はない。


「おいしいか?」


「うん!」


 満足そうに頷く子供は頬が膨らむほど頬張り、零れた米を拾うルーサルカが苦笑いする。ルシファーが手を付けるのを待って、大公や少女達も順次食べ始めた。非公式なのだから自由に食べればいいとルシファーは考えるが、アスタロト達にしてみたら「これが普通」なのだから仕方ない。


「名前はないと言うが、誰かに呼ばれたことはないのか?」


 本人が呼び名だと認識してなくても、何らかの呼びかけはされただろう。その際に「おい」や「おまえ」以外の名前が使われなかったか。根気強く聞き出すつもりのルシファーへ、子供は焼き魚の骨を噛み砕きながら首をかしげた。


「名前、呼ばない。海の底、いた……誰も、ない」


 アスタロトが眉をひそめて考え込み、ベールはルキフェルに骨を取った魚の身を差し出しながら不思議そうに呟いた。


「誰もいない? 海の底にいた……?」


 そんな種族に心当たりはない。最近は見たことも聞いたこともない種族ばかり増えるが、この子供も新種の類だろうか。同様の疑問を得たルキフェルが、魚を頬張った口の中が空になるのを待って声をあげた。


「海の底で何してたの?」


 同じ質問をルーサルカが繰り返すと、子供は食べ終えた魚の尻尾を皿の上に置いた。汚れた手を甲斐甲斐しく拭くルーサルカは、子供の前に冷ましたお茶を用意する。


「何も。沈んでた」


 奇妙な表現に、一瞬場が静まり返った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る