1040. 精霊女王の悪夢
葉を揺らす森の木々を見て、異常を感じたのはエルフや精霊だった。ずっと燻っていた違和が急激に膨らみ、不安に変わる。精霊女王であるベルゼビュートも例外ではなかった。
「絶対に変よ、こんなの……不安定過ぎてバランスが崩れるわ」
泣き出しそうな顔で大地を抱きしめる。俯せになったベルゼビュートの背から、ピンクの髪が散らばった。全身で森を抱きしめ、それでも足りない。このままでは崩壊してしまう。その危機感だけが大きく育った。
身を起こした彼女は落ち葉や土を払う手間を惜しんで、魔王城へ転移する。中庭に現れた彼女の泥や葉に汚れた姿に、侍女や庭のエルフも非常事態を察知した。足早にルシファーの部屋に向かう彼女の両側で、侍女達が小走りに汚れを払っていく。
「ありがとう。後はいいわ」
魔法を使う精神的な余裕すらないベルゼビュートは、せっかちな速さでノックして返事を待たずに扉を開いた。食事を済ませ、風呂に入れたリリスの髪を乾かしていたルシファーが苦笑する。
何度もアスタロトとベールに叱られたので最近は少なくなったが、昔のベルゼビュートはせっかちだった。返事を待たずに扉を開くのも日常茶飯事、いまさら過ぎて文句すら出てこない。
「どうした?」
「魔の森が異常ですわ。何か良くない兆候です」
「それなら、すでに動物に影響がでている」
貴族会議用に要点をまとめた資料を差し出す。気が急いているものの、ベルゼビュートは素直に目を通した。それから安心したように崩れ落ちる。膝から落ちたが、痛そうな音が響いたぞ。ルシファーの心配をよそに、ベルゼビュートは安堵の息を吐いた。
「よかったぁ……」
「まだ何も解決してないが、着手はした」
調査や分析が始まったと聞いて、彼女は涙ぐんだ。
「このまま森が滅びるかと……思ったわ」
「ベルゼ姉さんは本能で感じ取るのね」
動物みたい。そんなニュアンスで感心した響きのリリスは、乾いた黒髪を解かすルシファーの手に頬を寄せる。すでに動き出した調査班が持ち帰る情報を、エルフや聖霊、ドライアドなどの森の変化に敏感な種族が分析する。手筈は整っていた。
「魔の森の娘なのに何も感じないの?」
「私は一度死んだ後、切り離されているの。だから何となく感じ取るだけ。今ならベルゼ姉さんの方が森に近いわ」
不安そうに手を伸ばすルシファーの腕の中に、大人しく収まる。以前にリリスが死んだことが、魔王のトラウマになっていた。さらに消滅したと思わせるような事件が起き、その喪失感は世界の崩壊一歩手前まで膨れ上がったのだ。
抱きしめても怖いのか、ルシファーはリリスを腕の中に閉じ込めたまま、低く唸った。
「もう二度とごめんだ」
「わかってるわ」
普段は子供なのに、時々大人びた言動をするリリスはアンバランスだ。それがまたルシファーの不安を掻き立てる。悪い循環だが、彼らの絆を強くする一面もあった。
「……あたくし、邪魔みたい」
肩を竦めたベルゼビュートは、だいぶ巻きが弱くなった髪を指先で弄りながら部屋を出た。夜遅くに主君の部屋に飛び込んだ彼女を咎めるように、アスタロトが出迎える。廊下で待ち伏せされ、そのまま研究所まで連れ出された。
「ちょうどよかった。ベルゼビュートの感応力が必要なんだよ」
ルキフェルが嬉しそうにアスタロトに礼を言い、顔を引き攣らせた美女を回収する。研究所の扉は固く閉ざされ、翌日の昼過ぎまで開くことはなかった。
早朝に仕事で通りがかった侍女や侍従が、中から悲鳴と「やめなさいって!」と叫ぶベルゼビュートの声を聞いたとか……都市伝説のごとく囁かれたが、真相ははっきりしない。彼女は夕方近くになって、中庭の大木の根元に抱き着いて眠っていたところを発見された。泣き疲れて眠ったらしく、頬には涙の跡が残っていたという。
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