1273. 魔王を監視する軍務

 ドラゴン主体の精鋭部隊は、押し付けられた魔王ルシファーの監視に余念がなかった。魔族に君臨する最強の魔王で、膨大な魔力と寛大で公平な思考を持つ稀有の主君だ。忠誠を誓うに何の不満もなかった。


 過去にふらりと風に吹かれて外出した魔王が、数日ほど行方不明になった事件があった。その際は森の隅から隅まで、魔王軍の総力を挙げて捜索したという。偶然の行き違いと、人族の領地にまで足を伸ばしていた魔王の自由奔放さに惑わされ、大公達が転移を駆使して追いかけ回したと伝え聞いた。わずか数百年ほど前の話だ。当時の護衛は胃に穴が空くほど悩んだことだろう。


 魔王ルシファーの大いなる欠点は、身軽なことだ。圧倒的な魔力と豊富な魔法陣の知識で、ほとんどの事象を自分で解決する。そのため勇者が攻めてこようが、魔族の反乱が起きようが、自ら出向いて戦う人だった。人族の王侯貴族のように「戦ってこい」と命じる傲慢さはない。


 ゆえに……こういう騒動が数年に一度起きるのだ。魔王軍の名は魔王に従う軍だが、裏の意味もあった。魔王を監視する軍――不名誉なのか名誉なのか。判断に困るが、これも重要な任務のひとつだった。


 アスタロト大公直々に運んだ、大公の署名が並んだ命令書を握り締める。胃がキリキリと痛むのを撫でながら、将軍職に就くグラシャラボラスは溜め息を吐いた。その肩を、同職のサタナキアが叩く。無言だが頷く彼の瞳には「お役目ご苦労、わかるぞ」と同情が満ちていた。


「お前も監視対象だぞ」


「なんだと?」


「陛下と一緒に動かずにいてくれ」


 うぬぅと呻きながら、サタナキアはルシファーを振り返る。リリスと一緒に軍のテント前でフェンリルに凭れる姿は、変わらず美しい。魔力に満ちて輝く純白の髪を風に遊ばせ、高貴な銀の瞳を細めて婚約者を見守る。慈愛に満ちたその表情や所作から、仕事を放り出して飲み会に興じる人物とは想像出来なかった。


「ところで……ご令嬢は美しくなられたな」


「残念だが婚約者がいるぞ」


 歳若くして将軍職に就いたグラシャラボラスは、まだ独身だった。以前に娘イポスと見合いをさせてくれと言われたことを思い出す。


「なんと! 相手は誰だ?」


「研究所のストラス殿だ」


 頭脳派の研究所と聞いて、グラシャラボラスの目が細められる。決闘でも申し込めば勝てると思ったのだろうが……相手が悪すぎた。


「言っておくが、ストラス殿はアスタロト大公閣下の末っ子だ。魔力量も強さも並ではない」


 研究職で体を動かす機会は少ないが、ストラスは魔王軍の予備役登録をしている。数年に一度は演習に参加するし、手が足りなくなれば戦闘に参加することもあった。その際は、サタナキアの将軍補佐または参謀役である。頭の良さを生かした上で、緊急時に指揮を取れるだけの強さも人望もあった。


「……イポス殿は、その」


 ご令嬢から名前に変わった呼び方を咎めることなく、サタナキアは頷いた。残酷なようだが、真実を誤魔化すのは悪手だ。諦めてもらった方がいい。アスタロトの血を引く以上、大人しそうに見えるストラスも独占欲が強い厄介な男だろう。


「惚れている」


 がくりと頽れたグラシャラボラスを慰めるため、魔王ルシファーと飲み会を催した。監視対象ということは、仕事をすればそれ以外は見逃してもらえる。何度も魔王監視任務を経験したサタナキアは、収納から取り出したチーズやワインを提供し、ルシファーも取って置きのハイエルフ特製ワインを樽で取り出した。


 男達の飲み会はとても盛り上がるが、大きな樽の裏で酔っ払ったリリスが発見される。樽にコップを持った手を突っ込む婚約者の姿に青ざめたルシファーは、悲鳴を上げた。

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