37章 翡翠竜が運んだ嫉妬

500. 翡翠のドラゴンへのお詫び

 空を飛んで散歩を楽しんでいたら、雷の音がして記憶がない。何か当たったような衝撃があったんだけど……? ふらりと首をもたげると、地面に横たわっていることに気づいた。まあ飛んだまま意識を失っても落ちるので、現状は当然だろう。


 問題は――落ちたのにどこも痛くないこと、見覚えのある人物と知らない者に囲まれた現状だ。心配そうに覗き込む純白の魔王ルシファーと、反対側でやたら大きな胸を強調したドレスの精霊女王ベルゼビュートは知っている。


「起きたか! アムドゥスキアス、すまなかった」


「……魔王陛下?」


 ぎこちなく動いて座り直す。さすがに魔王の前で横倒しはまずいだろう。首を下に下げて敵対の意思がないことを示しながら、状況を理解しようと努める。周囲にいるのはフェンリル、複数の少女達だった。ダメだ、全然わからない。


「ごめんなしゃ……っくしゅん」


 なぜか魔王の腕に抱かれる黒髪の幼女が謝罪し、途中でくしゃみに遮られた。唾が飛ばないよう、とっさに口元を押さえる小さな手は玩具のようだ。軽くくちばしで挟んだら折れるほど細い指が、淡い桜色のドレスで手を拭いた。


 マナーとして、それはどうだろう。


「リリス。ドレスで拭いてはダメだぞ。ハンカチを出してあげるから」


 ひらひらとレースが大量に飾られた実用性の低そうなハンカチを取り出し、幼女の手を丁寧に拭っていく。どうやら数千年寝ている間に、魔王は子供を産んだらしい。男性体だし、産むときは卵だったのか。半分寝ぼけた頭でそんなことを思った。


「ごめんなさいね、アムドゥスキアス。実は姫様が魔力を込めた咆哮を放ったのよ。それがあなたに直撃したの」


「は?」


 言われた意味がわからない。足元の木の枝より細い子供が、魔力でドラゴンを落とした? しかしベルゼビュートが冗談を言っているように見えなかった。後ろの少女達も頷いている。フェンリルに至っては、申し訳なさそうに尻尾が垂れたまま。


「狩りを終えた我が吠えたゆえ、姫が真似されたのだ。申し訳ない」


 しょんぼりしたフェンリルは、灰色の巨体で地に伏せた。こちらも嘘を言っているように見えない。魔王の腕の中で鼻をかむ黒髪の幼子が、アムドゥスキアスを撃ち落としたのは間違いなさそうだった。


「治癒魔法を使ったが、どこか不具合はあるか?」


「いえ……」


 魔王自ら治したと言われ、身体を動かしてみるが痛みはなかった。しかし「ぐぅ……う」と情けない音で腹が鳴く。すると幼女は嬉しそうに左側の小山を指さした。


「あれ、から揚げして食べよ! お詫びなの」


「誰が調理する?」


 ルシファーが首をかしげる。唐揚げの材料も道具も知らない魔王の知識は、食べる直前の姿と原料だけだった。自ら調理した経験がないのだから、当然だ。


「陛下、私たちが作れますわ」


「恐れ入りますけれど、材料や道具を取り寄せていただけますか」


 レライエとルーシアが声をあげた。4人の少女達はリリスのお菓子作りに協力しているため、最低限の料理知識がある。特にルーシアは料理を得意と言い切れる、この場で最強の料理人だった。


「任せる」


「片栗粉、卵、ハーブ類、白ワイン、砂糖……塩かしら」


 材料を指折り数えるシトリーの言葉に従い、調理場のイフリートに用意させる。まとめて転送するよう、魔法陣の上に並べさせた。


「揚げ油、鍋、ボール、トング」


 使用する道具を思い浮かべるルーサルカの声を、そのままイフリートに送る。大急ぎで準備したイフリートを労い、道具と材料を転送した。魔法陣が光って消えると、一通りの材料が並んでいる。リリスがお気に入りの柚子ドレッシングやサラダ用の野菜も添えられていた。


「ハーブはあたくしが集めてくるわ」


 新鮮な方が香りがいいのよ、とベルゼビュートが森の中へ姿を消す。ヤンはかまど用の穴を掘り、大量の薪を集めていた。なぜか野営準備に関して手際のいい少女達に首をかしげるアムドゥスキアスだが、何もしないのも申し訳ないので、くちばしと爪を使って器用にコカトリスを捌き始める。


 幸いコカトリスの毒は効かないので、丁寧にバラした肉を咥えて渡す。受け取った少女達がドレスが汚れるのも気にせず、大きな肉を抱きかかえて礼を言った。


 寝ている間に随分と魔族も礼儀正しくなったものだ。感動しながら、手際よく分業して調理を始めた少女達を見守った。


 魔の森の中では動きにくいので、小さくなってみる。久しぶりなので加減が難しいが、牛より大きいくらいまで調整した。みると、大型犬サイズまで小さくなったフェンリルが得意そうな顔をする。負けた気がして、さらに身体を縮めた。むきになって互いに小型化していたが……。


「お前ら、小さくなってもいいが踏まれるなよ」


 ルシファーが苦笑いする頃には、手のひらに乗るミニチュアドラゴンと小型犬になっていた。

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