151. アスタロト君が死んでしまう
まさかの膝枕での赤ちゃん扱いから、ベールはルシファーの部屋に近づくことを極端に避けるようになった。代わりに犠牲となったのは、アスタロトである。
「アシュタ君、ここにお座りしなちゃい」
今日も今日とて、お姫様はおままごと遊びに夢中である。正面にルシファーを座らせ、後ろに大型犬サイズのヤンを従えていた。なぜか正座した足が痺れて、ちょっと爪先を浮かせるルシファーが涙目である。
「……はい」
先日うっかり「忙しいので」と断ったら大泣きされ、後ろから魔力の塊をぶつけられたので、素直にリリスが叩く隣に座った。ちなみに後ろから飛んできた魔力の塊は意外と強く、結界ごと吹き飛ばされたアスタロトが壁にめり込んだのは余談である。
へこんだ壁は大喜びでドワーフが即日修理していった。お陰で現在は元通り美しい壁に直っているが、同じ目に遭うのは
床の上でお座りして行うままごと遊びに凝っている女主人リリスのおかげで、侍女による床掃除レベルが高くなった。さらに今まで床に敷かれる絨毯はおまけ程度の感覚だったが、ふかふかの柔らかく毛足の長いものが流行している。
知らないところで、魔王城の流行を作り出すお姫様は唇を尖らせた。
「お味噌汁残しましたね。今日はちゃんと飲んでください」
「はぁ……」(お味噌汁って、先日の苦い粉が浮いた冷茶でしたよね?)
困惑顔のアスタロトの前に、湯気の立つ……を通り越して絶賛沸騰中の白湯が置かれた。見た感じ、特に何かが混入したり沈んでいる気配はない。しかしぐつぐつ表面が揺れる白湯は、口をつけられる温度には見えなかった。
「奥さん」
「なんでしょう、あなた」
「熱いとアスタロト君が火傷するよ」
おままごと中は隣の家の子供という設定なので、敬称をつけるルシファーの忠告に、アスタロトが内心でほっと息をつく。しかしリリスの思考は斜め上だった。
「アシュタ君は冷たいと残すから、熱くしたのですよ」
極端すぎるだろ! そもそも冷たいから残したのではなく、不可思議な苦くて白い粉が怖かったから残したのだが……完全に裏目に出ていた。目の前の器はよくみれば石材である。通りすがりのドワーフにでも頼んだのか。
温度が落ちないよう、魔法により手が加えられている。このまま時間稼ぎをしても、この白湯が適温になる未来はなかった。
「奥さん、アスタロト君が死んでしまう」
汗を拭いながら決死の説得を試みるルシファー。
本当に誰を参考におままごとをしているのか、本格的に調査させよう。
「あなた、我が侭はだめなのよ」
「……はい」
あ、負けた。魔王が折れた瞬間、アスタロトの赤い瞳が向けられる。裏切り者――そう告げる眼差しに、両手を合わせて成仏を祈った。この熱湯を飲み干すのはかなり勇気がいる。それ以前に、石の器もかなり熱いだろう。
「すまん、助けられなかった」
小声で謝罪だけして、ルシファーはそっと目をそらした。そんなルシファーへ、リリスはごそごそと籠から何かを取り出す。目の前に置いた白磁の皿に並べ始めた。この皿はおままごと用の玩具ではなく、魔王城で通常使われる高級食器だ。
動いている……けど?
皿の上で歩き回る虫らしき生き物を、リリスは笑顔でルシファーに差し出した。
「どうぞ、あなた」
見回した部屋の中に、逃げ道はなかった。
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