992. 世界の意思が示された

 研究室の片隅に置かれた卵は、ごとりと揺れた。落ちないよう布で包んで籠に入ったレラジェの卵は、突然割れる。


「いま、変な音が」


 ストラスが近づいて覗くと、ぱっかりと卵の殻が二つに割れた。すぱっと剣で切ったような断面を見せる殻が両側に落ち、質量の法則を無視したサイズの子供が転がり出る。咄嗟に手を伸ばして受け止めたストラスの顔をじっと見て、レラジェは首をかしげた。


「だぁれ?」


「ストラスという。君はレラジェで間違いない?」


「うん」


 頷いた子供は、卵に篭る前は1歳前後だったと聞いた。しかし腕にしっかり掴まる子供は、どう見ても3歳前後だ。卵の中で成長する種族もいるが、一度卵から出たのにまた卵に戻る種族は記録にない。リリスから取り上げた卵は、観察の意味もあって研究所に置かれたのだ。抱き上げて重さを量り、身長も記録した。


「あーんしてごらん」


 素直に口を開けたレラジェの歯を確認して、メモしていく。目や髪の色は変化なし、魔力量は僅かに減ったようだ。成長の糧として消費された可能性を記載し、魔王ルシファーによく似た顔の子供に尋ねた。


「具合はどうかな」


「へーき」


 話し方は外見の割に幼い。そこまで記録したところで、ルキフェルが戻ってきた。ベールに捕まり、無理やり休まされたルキフェルは隈も消えて顔色が明るい。抱き抱えられた子供と、その脇で割れた殻をみて目を輝かせた。


「割ったの?」


「割れたんです」


 人聞きが悪いですね。ストラスは親によく似た笑みを浮かべて、ルキフェルの言葉を訂正した。ぺろっと舌を出して「ごめん」と謝るルキフェルが、足早に距離を詰める。躊躇いなく手を伸ばして、レラジェを受け取った。


「どこも損傷ないね。なんで寝てたの?」


「おっきくならないと、たりないから」


 中身の成長はなく、ただ外見だけ大きくなった。その意味を短く口にし、レラジェは両手を窓の方へ伸ばす。換気のために細く開けた窓から、温かな魔力が流れてきた。窓の外に見える森の木が揺れ、その度に魔力を送り込む。なんらかの理由があって、森がレラジェを成長させようとしているように感じた。


「窓際に行くか」


 ルキフェルはテラスへ続く扉を触れずに開き、石造りの床にレラジェを下ろした。裸の子供は両手を伸ばして魔力を浴び、するりと服を作って纏う。丸首の大きめのワンピースに似た服は、膝下まで長さがあった。


「リリスやルシファーに連絡した方がいいかも」


 ルキフェルは判断に困り、そう呟いた。するとレラジェが振り返り、首を横に振る。


「だめ、りりすはおやくめがある」


 リリスの役目? 魔王妃になることかな。首をかしげるルキフェルの手を握り、レラジェは笑顔で言い放った。


「ひとぞく、いらない。しょぶん……ぼくがするよ。もりがきめたから」


 細切れの言葉に秘められた意味を、ルキフェルは驚きを持って受け止めた。人族を滅ぼすことを魔の森が決め、そのために必要な手足としてレラジェが成長した。聞こえた言葉を組み合わせて理解した内容を、幼子に確認する。


「魔の森は、人族を排除するためにレラジェを育てた?」


「うん、ぼくはぶきだもん」


 自らを武器だと称した幼子は、あどけない笑みでルキフェルの手を引っ張った。


「てつだって」


 ルキフェルの口角が持ち上がり、レラジェを再び抱き上げた。まだ魔の森から流れ込む魔力を吸収し続ける幼子を腕に、召喚の響きをもって名を呼ぶ。


「ベール、すぐ来れる?」


 答える声より早く、過保護なベールが駆け込むことを疑う余地はない。振り返ったルキフェルに、ストラスが申し出た。


「私も参加したいのですが」


「魔王軍の転送を手伝うなら、連れて行けるかもね」


 ざわりと葉を揺らし、魔力を送り続ける魔の森――それ自体がこの世界の意思だった。

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