433. 一緒に召喚された子だよね?

「ひ、姫っ。痛いですぞ」


 ぐずるリリスに身体を弄られまくるヤンが、ついに悲鳴をあげた。耳を掴んだまま尻尾も引っ張られる。さすがに我慢できなくなったヤンへ、ルシファーが「悪い」と声をかけて取り上げようとした。しかしリリスは眠さが限界なのも手伝い大声で泣き出す。


 地下牢へ続く廊下は、リリスの鳴き声が反響した。耳のいい獣人の一部は、さっと耳を手で覆っている。自衛は大切な耳を守る手段だ。


「やだぁあ!! パパ、やだっ!!」


「う、兎と交換しようか」


「うちゃ……ぎ?」


 さっきまで森で抱いていた兎を代わりにしようと提案すると、指を咥えて考え込んでしまった。しかしヤンの尻尾を引っ張る手は離れる。耳は掴まれたままだが、ヤンはじっと我慢した。ここで騒ぐと、リリスがまた大泣きしてしまう。忠義の犬ならぬ忠フェンリルである。


 小型犬サイズのヤンからリリスが手を離した。耳だけでぶらさげられていたヤンが落ちる。


「兎ちゃんがいい」


「…………」


 くるりと回転して着地したヤンは、複雑そうな顔で沈黙した。離してもらえて嬉しい反面、兎に負けた気がして悔しい。だがあのまま苦痛の時間を堪えるのは嫌だ。そんな森の王者フェンリルの葛藤に、周囲の獣人から同情の目が向けられた。


 魔獣や獣人にとって、耳や尻尾は急所であることが多い。そこを握られて耐えたフェンリルへ称賛の眼差しが注がれるが、当人はまだ葛藤中だった。


「ルキフェル。さっきの森の兎を回収してくれ」


「目印ないよね。少し時間かかるよ」


 対象物の特定に時間がかかると告げるが、考え込みながら複数の魔法陣を弄り始めた。指を咥えるリリスが、逆の手でルシファーの髪を掴む。ぎゅっと引っ張られるが、苦笑いして許すルシファーは牢の入り口で足を止めた。


 奥で怯える少女が1人、彼女を温めるように狐獣人の女性が1人。牢の中にいるのは、彼女らだけだった。獣人は身体の大きな者が多く、威圧感を与えないよう牢内に入らない気遣いが見て取れる。


「ご苦労だった」


 労ってから、後ろを振り返った。勇者アベルは、自分の着ていた服の上着を脱いでいる。


「あの、魔王様。先に入っていいですか?」


 頷くと、アベルは目の前を横切って牢の中に入った。汚物がそのままの牢内は臭いがきつく汚い。しかし顔を顰めないのは、彼もよく似た環境で閉じ込められた経験が影響していた。


『一緒に召喚された子だよね?』


 しばらく使えなかった母国語だが、聞いた彼女は弾かれたように顔を上げた。痛々しい痣が残る少女が、自分と同じかもっとひどい目にあわされた可能性に気づいて、唇を噛む。あの場で抵抗しても取り戻せなかっただろうけど、見捨てた形になったのは申し訳なかった。


「なんで? 勇者は、殺された……って」


 掠れた声で絞り出された言葉は、彼女が精神的にも追い詰められていた証拠だった。唯一の心の拠り所だった同郷の人間が殺されたと聞いて、どれだけ嘆いただろう。怖い思いをさせてしまったと眉尻を下げたアベルが、そっと上着を差し出した。


「これを着て」


 頷いた少女が、アベルの上着に袖を通す。少しだけ表情が和らいだ。


「外に出よう。牢の中は冷える」


 そこに異議はないので、全員が了承した。聖女である彼女の姿が痛々しいので、ルシファーは浄化の魔法陣で地下牢ごと汚れを消し去る。銀色の光が消えると、少女の黒髪は艶が戻っていた。散らばっていた汚物や腐敗したゴミも浄化され、牢が少し明るくなる。


 しかし、浄化しただけでは足りなかった。聖女という崇められる立場の彼女は、ぼろぼろの白いブラウスに紺色のスカート姿だ。異世界から召喚されて以来、着替えを与えられなかったため服が傷んでいた。若い女性をこんな姿で人目にさらすのは気の毒だ。


 アベルの上着を着ても隠しきれない手足の痣を治し、人並みの恰好を整える必要があった。

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