887. 眠らせてしまえば

 赤に近いローズピンクの薔薇を浮かべた風呂を堪能し、リリスの黒髪を乾かすルシファーは器用に3つの魔法を操ってドライヤーを再現した。以前は水気を飛ばして風を当てるだけだったので、使用する魔法は2つだった。しかし異世界のドライヤーの説明をアンナから聞いたのだ。


 濡れた髪に冷たい風を当てたら、湯冷めしてしまう。風邪を引いたり体調を崩すと聞いたルシファーは、話の内容を理解すると3つの魔法を重ねて再現した。多少調整が必要だったが、慣れた今は日常的に使用している。


「温かいのにしてから、髪がまとまるようになったの」


 リリスの感想を聞きながら、アンナ達異世界人の知識に興味が湧いた。時間を取って、彼女らの知る知識を公開してもらう機会を作ったらどうだろう。使えそうな考え方や再現できる技術があれば、魔族の生活が豊かになるかも知れない。


「それなら、ルキフェルに頼んで魔法陣を組もうか」


「いいわね。シトリーが喜ぶわ」


 なぜか側近の1人だけ名を上げたリリスに首をかしげると、こっそり教えてくれた。シトリーの銀髪はストレートで癖がないように見えるが、洗うとふわふわ絡まってしまうらしい。そのため乾かすことに人一倍時間をかけて、毎日必死でストレートの髪を維持しているという。


「ベルゼビュートと逆だな」


「ベルゼ姉さんは巻き毛命ですものね」


 毎日苦労してピンクの髪を巻き毛にするベルゼビュートと、洗うたびに髪を伸ばすシトリー。正反対の彼女らの髪質を交換できたら、互いに満足出るのだろうが……。さすがにそんな都合のいい魔法は存在しなかった。ひとまず魔法陣を組むには一度見せる必要があるため、ルキフェルを呼ぼうとした。


「失礼します」


 アデーレが食事を持ってきた。少し早めの夕食だが、明日の朝の出発が早いためだろう。ルキフェルを呼ぶのは後にしようとテーブルにつけば、手早く用意したアデーレが控える。いつも食事中は脇で待つ侍女長を手招きし、リリスはこっそり情報を流した。


「あのね、ルカはアベルが好きみたい。簪を買ってもらったわ。銀の枝に赤い実と緑の葉がついたデザインよ」


 声をひそめて告げた。アベルはこの世界で苦労ばかりしてきたから、応援する意味を込めて自室にばっちり結界を張る。これでアスタロトに聞かれる心配も減ったはずだ。気づいたアデーレが会釈した後、微笑んだ。


「そうですか、あの子も好きな人が出来たのね。アベルは人間だから寿命が心配ですが」


「寿命が尽きる未来を心配して諦めるなら、それは恋じゃないだろう」


 リリスの口にサラダのトマトを入れながら笑う。自分も初めてリリスに恋をしていると自覚したとき、かなり悩んだ。人間と魔族のハーフだと思っていたから、リリスが失われる未来に恐怖した。それを乗り越えた魔王の発言に、アデーレはルーサルカの母の顔で頷く。


「そうですね。ルカの寿命もはっきりしませんし、いつ命が消えるか心配しても仕方ありません」


 突然明日失われるかも知れない。一般的に寿命が長い魔族であっても、人間より先に死ぬ可能性はゼロではなかった。不確定な未来を心配しても、何も得られない。納得したアデーレに言葉をかけようと開いた口に、リリスが切り分けた魚を放り込んだ。


 切り身としてはかなり大きな魚を、口いっぱいに頬張ったため声が出ない。はみ出すサイズじゃなかったのが幸いだ。もぐもぐと口を動かして噛む間に、リリスはアデーレに提案した。


「ルカがもう少し恋心を自覚するまで、アシュタに内緒に出来ないかしら」


「簡単です、あの人は前回の眠りを強制終了しましたから……しまえばいいでしょう」


 さすが、アスタロトの妻になるため押しかけた女性である。強い発言に顔を引きつらせながら、ルシファーは聞こえなかったフリを貫いた。ここで迂闊に口を挟めば、共犯者にされてしまう。口が塞がっていることに感謝しながら、口に苺を放り込むリリスを見守った。


 同じ赤い食べ物でも、トマトではなく苺が食べたかったらしい。幸せそうに苺を堪能するリリスを膝の上に乗せたルシファーは、今度こそ間違わずに彼女の好物を可愛い口へ運んだ。

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