46章 消えた記憶を取り戻せ

605. 天気が崩れそうだ

「しねぇ!!」


「兄様の仇っ!」


 昨日の髪飾り紛失騒動から一夜明け、朝日眩しい城門前で人族が茂みから襲いかかる。浅黒い肌と褐色の肌の彼らを一瞥し、ルシファーがひとつ欠伸を噛み殺した。愛らしいオレンジ色のワンピース姿のリリスと腕を組んでいる。間違っても彼女にケガをさせるわけに行かないと、しっかり結界を確認した。


「リリス」


「わかってるわ。ルシファー」


 内側から結界を通過できるリリスが、手を離さないし結界から出ないと約束する。腕を組んで歩く美男美女だが、年齢差は8万年の2人が頷きあった。城門番なので動けないアラエルがやきもきしているが、すでに城内に連絡が放たれている。


 一番手で城門を飛び出したのはヤンだった。中庭から城門を飛び越えるフェンリルのサイズは、小山級である。重量を感じさせない軽い足音で駆け寄り、ルシファーと人族の間に立った。


「我が君、これらの始末は我に……」


「大公の獲物ですよ、ヤン」


 転移魔法陣が光り、芝の上にアスタロトが顕現する。すぐに優雅に一礼した。肩にかかる金髪がさらりと流れる。吸血種は他種族を誑かして血を得るため、総じて美形が多い。


 顔を上げたアスタロトの容姿に、人族の神官である少女が甘い吐息を漏らした。ルシファーもリリスも外見は整っているが、この妖艶さは吸血種の専売特許だ。何よりリリスとルシファーが腕を組むことで、恋愛対象から外れるのだ。勝ち目のない恋愛戦はしない主義のようだが、それなら戦闘も諦めて欲しかった。


「魔王陛下、あなた様の剣ですわ」


 ぶわっと風が通り過ぎて、何もなかった場所にベルゼビュートが現れる。豊満な胸に、剣士がごくりと唾を飲んだ。ピンクの巻き毛がふわふわと揺れる。


「陛下、こちらの無礼者は我々にお任せください」


 ついにベールまで飛んできた。こうなればルキフェルもこの場に現れるのは確定事項だ。ばさりと大きな影がかかり、上空に美しいドラゴンが現れる。青い鱗が光を弾き、一瞬で水色の髪の青年に変化した。


「お待たせ。僕にも獲物わけてよ」


「……過剰戦力だろ」


 ぼやくルシファーが額を押さえる。大公4人が揃えば、人族殲滅戦の様相を呈してしまう。何か方法はないか考えるルシファーへ、リリスが袖を引っ張って気を引く。


「ん?」


「あのね、そこの森にあと50人くらいいるわ」


「随分大人数だな」


 魔の森の娘でもあるリリスの言葉を疑う余地はない。近くで聞いていたアスタロトが、複雑そうに呟いた。


「50人ですか。4人で割り切れる数ならよかったのですが」


 端数が出ると揉めるでしょう、と勝つこと前提の発言をされた人族が騒ぐ。魔王ルシファーはもちろん、たとえ大公1人しか居なくとも魔族の勝ちは確定事項だった。しかし攻めてきた彼らにそんな考えはない。


「今度こそ滅ぼしてやる!」


「我が一族の仇を討たせてもらうぞ」


「主人の無念を果たす」


 口々に叫んで茂みや森から飛び出す彼らの頭数を数えたベルゼビュートが、ぽんと嬉しそうに手を打った。


「簡単よ。ヤンもいれて5人で分けたら、10人ずつでぴったり!」


 射掛けられる矢は、ベルゼビュートが使役する風が弾く。いくつかはルキフェルの魔法陣が展開して回収した。珍しい記号でも刻まれていたのか。目のいいドラゴンならではの技だ。虹色の刃を抜いたアスタロトが、ルシファーとリリスを守る位置に立った。


 竜化させた腕を構えるルキフェル、ベルゼビュートも聖剣を右手に握る。ベールが左手に白い炎を呼び出した。戦闘準備は万端だ。


「端数は早い者勝ちにします」


 ベールが言い切った瞬間、芝の上は真っ赤に染まった。数人の手足が転がる現場で、ルシファーが眉をひそめる。


「おい、即位記念祭に間に合わなくなるから、芝を汚すな」


 毎年この場所は屋台が出て、魔族達の飲食が行われる会場だ。血塗れくらいならいいが、ドラゴンブレスを吐こうとしたルキフェルを止めた。ベールも何やら魔物を召喚しようとしたらしく、足元に魔法陣が広がっている。


「わかりました。それぞれ持ち帰りとしましょう」


 笑顔で妥協案を提示するアスタロトが14人を持ち逃げした。舌打ちしたベルゼビュートが「もう! 多く持ってくなんて」と10人連れて自領へ転移する。残った獲物をきっちり20人選んで、ルキフェルと手を繋いだベールが一礼して消えた。


 残ったのは端数を含めても7人だ。


「悪かった、ヤン。あとで埋め合わせをするから」


 上位者に好き勝手されたフェンリルが、ルシファーの言葉に尻尾を振る。この魔王城周辺の森には、魔狼族が多数生息する。遠吠えで仲間を呼んだヤンに、多くの遠吠えが返された。平伏して敬意を示した後で、魔狼達は人族に襲いかかる。


「リリス、散歩の続きをして帰ろうか。アデーレが朝食を用意してくれる頃だし」


「今日は目玉焼きより茹で卵がいいわ」


 平和な会話で歩き出すルシファーがリリスの肩を抱き寄せる。食事のリクエストを口にする魔王妃が頬を寄せて腕を絡めた。魔族にとって平和な日常は、今日も魔王城中心に繰り返される。しかし彼らは気付いていなかった。


 ――弱体化して数を減らした人族が、なぜ魔王城まで攻め込めたのか。


 不気味な疑惑を示すように、朝日を遮る雲が横たわる。陰った日差しに気付いたルシファーが空を見上げ呟いた。


「天気が崩れそうだ」

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