1366. それぞれの旅立ちの夜に――前夜祭4

 ルシファーのフォローに入る直前、アスタロトは主君から目を離していた。というのも、可愛い義娘ルーサルカが吸血種の集うテントに顔を見せたのだ。アデーレからの連絡で駆け付け、アベルを睨みながらルーサルカのドレス姿を堪能した。


 公式行事用に作らせたクリーム色のドレスはくるぶしが見えるギリギリの裾で、銀色の靴を履いていた。この靴はアデーレが作らせたものだ。褐色の肌に淡色の絹が良く映える。目を細めて満足げに頷くアスタロトの前で足を止め、ルーサルカはスカートを摘まんで一礼した。


 ダンスのレッスンと一緒にカーテシーの練習も付きあった。引き取って僅か10年程で嫁に出すのは早すぎる。いくら獣人でも寿命は数百年と長いのだ。まだ子どもでいてもいいのに。事実、血の繋がる息子ストラスなど200年以上脛を齧っていた。


 あと50年は手元に置きたかったと溜め息を吐く。


「私、お義父様とお義母様の娘として嫁ぎます。これからもよろしくお願いします」


 にっこりと笑う愛らしい娘に、アスタロトは整った顔に笑みを浮かべた。これからも干渉しまくってやる。心の中の決意を顔に出すことはない。察したアデーレは苦笑いした。


「嫁ごうと我らの娘だ、いつでも顔を見せなさい」


 帰ってこいは不吉なので、結婚式では禁句とされる。本心では呟いたが、表面上は言葉を置き換えた。顔を見せるだけなら、ぎりぎりだろう。酔っぱらった同族が騒いでいるが、ぎろりと睨んだら静かになった。アベルは察したらしく、小刻みに震えている。小心者め。心で罵っても声に出さない程度に、アベルを認めていた。そうでなければ結婚はどんな手を講じても邪魔しただろう。


「幸せになります」


「幸せにします」


 ルーサルカとアベルの宣言に、吸血種は盛り上がった。わっと声が上がり、アスタロトは「何かあればすぐに相談しなさい」と口にするのが精いっぱいだった。感動のシーンは、ヤンからの救援信号に遮られる。


「ちっ、あの人はまた!」


 ぱちんと指を鳴らして転移するアスタロトは、きっちりアベルだけに釘を刺した。


「ルカを泣かせたら――わかっていますね?」


 恐ろしさにアベルは必死で首を縦に振った。








 ルーシアとジンは精霊族が集まる大木の根元で、祝いの言葉を浴びていた。精霊族は実体を持つ個体と体を持たない霊体に分かれる。父母共に実体を持つルーシアの家は珍しく、故に侯爵家を相続した経緯があった。大公女に選ばれてから別に暮らしていても、心の距離は近い。


「可愛いあなたがもうお嫁に行くなんて。でもジンとなら幸せになれるわ。お互いに嘘をつかず、誠実に接するのよ」


 母の言葉に、浮かんだ涙を堪えて頷く。ジンも風の精霊達に囲まれ、口々に夫婦の心得を聞かされた。若い夫婦が道を誤らぬよう、互いの手を離すことがないよう。先輩からの言葉は忠告であり、親切心だった。頷く二人は顔を見合わせて微笑み合う。


 風と水、相性は決して良くない。それでも選んだ相手と添い遂げると言い切ったルーシアとジンに、大地の精霊が花を贈った。花の蜜を使って作られる蜜酒を受け取る。成人を認める両親や一族からの意思表示だった。


「これで今日から大人と同じ。今までのように子どもでいることは許されないのよ」


 ジンの母がしっかりと言い聞かせる。頷いた二人は互いに見つめ合ったまま、そっとカップの縁に口を付けた。百合のような花の中に注がれた蜜酒が舌に触れ、流れ込んで喉を潤す。ふわりとした甘さとは真逆の、多少のほろ苦さを感じながら飲み干した。


「これで成人だ! 結婚と合わせて目出度い!」


「おめでとう」


 仲間に囲まれて、ルーシアとジンは幸せそうに微笑んだ。

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