271. なぜ人族は攻撃前に叫ぶのか

「魔王、しねぇえええ!!」


 なぜ人族は他者を殺害しようとするとき、その名称を叫びながら居場所と攻撃のタイミングを知らせるのだろう。何らかの礼儀作法なのか? 


 圧倒的強者と戦うのだから、黙って後ろから首を斬り落とせばいいのにな。


 変な種族だと感心しながら、飛んできた矢を弾く。人族がここ数十年で身につけた魔術のひとつで、矢に魔法記号を刻むという手法があった。遠くへ届かせるための風記号を矢羽根やばねの近くに、相手に届いてから発動する炎や氷をやじりそのものへ刻印する。


 その目の付け所は素直に褒め称える魔王だが、結界が常に3重で働いている彼に通用しない。キンと甲高い音を立てて矢が弾かれた。みると、眼下で戦うアスタロトは珍しく結界を展開していない。飛んできた矢を片っ端から切り裂いた。


 自動殺戮人形みたいだ……知られたら、顔の形が変わるまで殴られそうな感想を抱く。


 ベルゼビュートはアスタロトの獲物に止めを差しながら追いかけるスタイルなので、今のところ矢は届いていなかった。だがよく見れば、彼女も結界を展開していない。理由がわからなくて首を傾げたルシファーが背に2枚の黒翼を広げた。


「パパ、鎌は?」


「ああ、そうだった」


 いつもの癖で魔法陣を作ろうとした左手に鎌を握る。意思がある武器デスサイズが大きな三日月の刃を輝かせた。午後の穏やかな日差し降り注ぐ前庭が、完全に殺戮会場と化していた。なぜだろう、この殺伐とした風景は……。


 放っておいてくれたら、魔族に干渉さえされなければ、人族が勝手に生きていく分には放置して構わないルシファーとしては、毎回ケンカを売りに来る彼らの態度は不思議でしかたなかった。


「リリスはどうする?」


 お友達と残りたいと言われたら泣く気だが、一応尋ねる姿勢だけは見せておこう。余裕があるのかないのか、魔王としての威厳など欠片もないルシファーの心境に気づいて、ベールが天を仰いだ。


 アスタロトの日常の苦労が身に沁みます……魔王軍と貴族担当でよかった。心の底から安堵しながら、ルシファーとリリスのやり取りを見守る。


「うんとね~、一緒にいく」


 にこにこと手を伸ばすリリスが首に手を回し、抱きしめたルシファーが幸せそうに「一緒に行こうな」とキスを降らせた。早く行こうと促すデスサイズの振動があり、周囲の生温い見守りの眼差し……城門前はカオスである。


 翼を広げたルシファーが城門から飛び降りるが、直後に魔力でふわりと飛翔した。大喜びのリリスが、ルーサルカ達へ手を振る。最前線に立つアスタロトから少し離れた位置に降り立った。互いに武器を振り回す以上、多少の間隔は必要だ。


「すごい」


「さすがね」


 ルーシアとシトリーが城門の縁まで駆け寄って、手を振り返した。ルーサルカも後ろから近づき、自分より幼い子に危険が及ばないように結界を張る。アデーレ直伝の結界は、ルーサルカの十八番だった。リリスも友人たちも守ることを自らに課した彼女が、最初に覚えた魔法でもある。


「いつかお手伝いできるようにがんばる」


 決意表明をするレライエも、ルーサルカの隣に立って城門前の広場を見下ろした。真っ赤な血や人族の死体に恐怖して泣く子は一人もいない。魔物退治や自力での食料確保が当然の魔族にとって、この程度の光景は見慣れていた。


 事実、具合が悪くなるほどの惨殺死体はない。


「アシュタみたく、ずばっとして!」


 手を振り回して切る仕草をする幼女は、結い上げた黒髪の髪飾りを揺らして大興奮だった。こういう現場に慣れすぎていて、恐怖心は欠片もない。それを自分への信頼だと読み替えたルシファーは、左手の大きな鎌を振りかざした。


 重さを感じないこの鎌は、魔王位に就く前からルシファーの呼び出しに応じていた。どういう存在か解明されていないが、他者が手に取ると消えてしまう。ルシファーの手にあるときだけ武器として機能した。しかも重さを感じないという便利なオプション付きだ。


 指先でバトンを回すような仕草でくるりと回し、背後に回り込もうとした人族の剣士を切り裂いた。魔王城に攻め込む以上、人族であろうと魔族であろうと関係なく排除対象だ。攻撃の意思を振りかざした以上、反撃されるのは必然だった。


「パパ、すごい!!」


「リリスが褒めてくれると嬉しいな」


 ご機嫌で応じた瞬間、目の端に飛来する矢が映った。何とはなしに結界で弾こうとしたルシファーへ、アスタロトがのんびりした声で忠告する。


「ルシファー様。結界は無効ですよ」


「は?」


 慌てて左手の鎌を翳して矢を弾いた。キンと硬い音を立てて矢が落ちる様子に、「本当だ」と呟く。特殊な記号が描かれた矢ではなく、飛ばすための風記号と先端の火記号しかない。地に降り立ったルシファーの周りから結界が消えていた。

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