960. 溺れる者は恩人を害する
「うわっ! 今度は竜だぞ!」
「嘘だろ。ここ……何なんだよ」
「もういやぁ! 帰りたい」
泣きじゃくる女の甲高い声、叫んで人を指差す失礼な男、どちらも腹立たしい。僕達魔族を怒らせることにかけて優秀なのは、人族の才能なのかな。
ぶんと尻尾を振ると、沼地の泥が跳ね上げられた。全身に泥を被り、慌てて顔を拭ったり口に入った泥を吐き出す連中をよそに、ルキフェルは周囲を見回す。
リザードマンが棲まう沼地は、棚田のように沼がいくつも重なる作りだった。自然に出来た段差を利用し、縁を作って水を保持する。最低限の手を加えるが、自然な状態を維持する彼らの土地はぐちゃぐちゃだった。
美しい沼に何かが突き刺さり、その巨大な塊から出てきた人族が喚き散らす。奇妙なのは、この状況でリザードマンが見当たらないことだった。彼らは己を戦士と位置づけ、戦わずに逃げる種族ではない。竜を尊敬する彼らがルキフェルの来訪に出てこないのは、おかしかった。
少し先にある島は、鱗人族の聖地だ。緑に覆われた島はさほど大きくないが、神殿が置かれていた。沼地で取れる葦を刈り、乾燥させて屋根や壁を編むのは女性達の仕事だ。その神殿と巫女である女性達を守るのが、戦士である男の役目だった。
「……なんてことを」
ぐるると喉を鳴らして呻く。魔力のありかを探ったルキフェルの目に飛び込んだのは、荒らされた島だ。倒れた男達は小さな傷から血を流していた。手にした槍を離さず、何とか侵入を阻止しようと戦ったのがわかる。
びしゃんと泥を跳ねながら近づけば、生きている数人が身動ぎした。
「動くな、傷が広がるからそのまま」
同じ鱗を持つ種族だ。その硬さはよく知っている。貫いた武器は不明だが、腹や胸に開いた穴は治癒で塞げるだろう。この場所は辺境に近い位置にあるため、地脈が流れていない。
治癒魔法陣を呼び出し、多少の変更を加える。それから島全体を覆う形で広げた。両手をついて、一気に魔力を注げば魔法陣の文字が光った。流れた血を体内へ戻し、傷を塞ぐ。痛みをもたらす原因である傷がなくなれば、彼らも動けるだろう。
無防備に背を晒したドラゴンへ、人族は武器をむけた。結界を張るルキフェルの背で、何かが弾ける衝撃があった。同時にパンと手を叩いた時の軽い音が響く。何かを焦がしたような臭いがして眉を寄せる。その音を聞いた途端、リザードマンが青ざめた。
「ルキフェル様、彼らの武器の音です!」
「おケガをなさったのでは?」
結界に何かが当たった感触はある。振り返れば、武器は落ちていない。剣を叩きつけたような衝撃だったけど……奇妙な感覚に、ひとまず結界を重ねた。物理と魔法障壁を3重にして島ごと取り込む。折角治したリザードマンに攻撃されるわけにいかないからね。
「ねえ、ボティスはどこ?」
「連れ去られた巫女を追いました」
そこからリザードマンの戦士は、悔しそうに説明を始めた。突然空から落ちて溺れる人族を救助して島にあげたこと、彼らが突然奇妙な金属の塊で攻撃してきたこと、傷ついた巫女を逃すために立ちはだかる戦士が次々と倒れたこと。
当代の巫女は長であるボティスの妹だ。逃した彼女の悲鳴に、ボティスがこの場を離れ、神殿を死守した彼らは全滅しかけたらしい。まだボティスが戻っていないなら、向こうで何かあったのだろう。
「わかった。結界を残していくから、この中にいて。仲間が逃げてきたら、手を繋げば中に入れられる」
人族も魔族も弾く結界だが、中から伸ばされた人の誘いなら入れる。結界の情報を書き換え、魔法陣を少し変化させてから再発動させた。羽を広げて空に舞い上がる。
見回す先は森があり、視界が遮られた。だが魔力を追うことは出来る。巫女の魔力は知らないルキフェルだが、ボティスは何度も顔を合わせていた。彼を探すためにくるりと上空を旋回する。
「いたっ!」
思ったより離れていない。滑空して、森の木々を傷つけないように空中で人化した。羽と角を残して水色の髪を風に揺らす竜王は、地上の景色に目を見開いた。
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