81. 古い記憶と夢の交錯

「オレだって確証はなかった」


 そう前置きして怠い身体を起こした。クッションに身を沈め、集まった大公達を見回す。ひとつ溜め息をついたルシファーはゆっくり話し始めた。


 



 魔王城が崩れたあの日、ルシファーは長椅子に横たわっていた。胸の上に抱きついた幼子は、すやすやと寝息を立てる。肌寒さを感じる外気を結界で遮って、穏やかな日差しに頬を緩める。


 右腕や翼は痛むが顔を顰めるほどでもなく、ただただ心地よさに身を委ねていた。きゅっと髪を握るリリスの手が動き、リリスが顔を上げる。まだ寝ぼけているらしく、赤い瞳はぼんやりしていた。


「リリス、起きるのか?」


「ううん……」


 唸ったのか否定したのか。判断がつかないまま、とんとんと彼女の肩を叩く。再び眠くなったらしく、埋めた顔を擦り付けるリリスが動かなくなった。整った寝息に誘われて意識が薄れたところで、不思議な夢を見た……いや、夢だったのかわからない。


――――初めて『勇者』と対峙したときの記憶だ。


 女勇者の構える剣は禍々しい光を放ち、不吉な感じがした。後に勇者の証として人族に受け継がれる宝剣となるが、このときは魔力を帯びた魔剣の1本に過ぎない。


 彼女の髪と同じ黒い刃が振り翳され、とっさに結界を張った。3枚のうち2枚を一撃で砕かれ、仕方なく死神の鎌デスサイズを召還する。膨大な魔力と自我をもつデスサイズの、身長を超える大きな身を振りかぶった。


 戦いの末……彼女はこの身に剣を突き立てた。同時にデスサイズが彼女を切り裂く。魔王として君臨して、たったの数百年。初めて外敵と戦ったオレは胸に刺さった剣をそのままに、倒れる勇者を受け止めた。


 もう顔も思い出せないのに、あの瞬間に彼女を丁重に葬ってやりたいと願った気持ちは忘れていない。命を引き取る前に願ったとおり、魔王に手傷を負わせた勇者に敬意を表して人族に土地を与えた。勇者の願いを忘れぬように、我が身を傷つけた剣を誓約の証として――――


 泡沫うたかたの夢に似た古い記憶の直後、リリスが目を覚まして髪を引っ張った。


「パパは魔王なのに、どうしてリリスは勇者なの?」


 彼女の疑問に対応を迷った。魔族だから勇者ではないと答えるべきか、紋章があるから勇者の資格はあると伝えればいいか。その迷いを敏感に察したリリスが涙を零し、拭おうと伸ばした右手が切り裂かれた。身を起こして「怖い」と泣くリリスを慰めたくて、だが近づけない。


 魔法による風の攻撃とも違う。感情の揺らぎがそのまま魔力として叩きつけられるような、激しい痛みを伴う刃だった。泣きながら「怖い」「やだ」と叫ぶ姿が哀れで、痛みを無視して手を伸ばし続けたのがいけなかったのか。


 涙を拭うリリスの左手の甲が赤く光る。勇者の紋章がくっきりと鮮やかに浮かんでいた。その紋章を中心に魔力が収束していく。だが彼女の左腕には、ルシファーの髪で作った御守りが存在した。


 勇者と魔王は表裏で、対立する。ブレスレットに残る魔王の魔力に反発して、最初の爆発が起きた。私室を中心に吹き飛んだ範囲にいた魔族に結界を張る。涙を零すリリスの右手が左手の痣に触れ、アスタロトの御守りが反応した。


 これが二度目の爆発の原因だ。ルシファーの魔力で不安定になった勇者の紋章が、他の魔族の魔力に過剰反応したのだ。リリスを囲む結界を張れば、魔王城の崩壊は免れたかもしれない。だが彼女だけを覆えば、すべての逆凪は彼女へ向かうだろう。


 魔力の制御も出来ない幼子に、魔王を傷つけるほどの逆凪が向けばどうなるか……覚悟を決めて、自分以外のすべてに結界を張った。逆凪を受けた瞬間、城の主を攻撃されたとみなした魔法陣が稼動する。それすら魔力で無理やり捻じ曲げて、受け止めきった。





 長い話を終えると、ばさりと背の翼を引き出す。普段見せる1対だけでなく、6対すべてを広げた。即位以来ほとんどみせたことがない翼は、美しい艶を帯びた漆黒だ。しかし今は傷だらけだった。


「この通り、あと数十年はまともに使えない」


 欠点をさらりと口にした魔王は、意味ありげに笑った。

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