1089. 神龍の最後の膿

 神龍族は滅びゆく種族だ。古い時代を知る長老モレクが亡くなる前から、それは顕著だった。ゾンビ事件に関わり、魔王妃が確定していたリリスが若返る原因となった。それでも神龍を滅ぼさなかったのは、リリスが死ななかったこと。長老モレクが示してきた忠誠心ゆえだ。


 周辺種族で起こる騒動を穏やかに纏め、己が一族を厳しく管理してきた。生まれる子供が減少し始めた1500年ほど前から、他種族の子を引き取って育てる。長生きした分、滅びの影響を受けなかった。


 最期は一族の名誉を守っての壮絶な死――彼の大きな魔力の返還により、魔の森の休眠は短くなったはずだ。その功労者の一族だから見逃してきた。


「一度は陛下が許しました。二度目は私達が見逃してやった。だが俺に三度目はない」


 一人称が変わる。残忍さが際立つ吸血種すべての頂点に立つ吸血鬼王の、どこまでも容赦ない一面が表に出た。眼下に広がるのは神龍が住まう岩山。高く突き出た垂直に近い山が連なり、麓を川が流れる。風光明媚な美しい山谷を見下ろし、金髪の実力者は背に羽を広げた。


 警戒するように、数匹の龍が舞う。いきなり攻撃を仕掛けてきたら、叩きのめしてやったのに。くつりと喉を鳴らして笑い、アスタロトは口を開いた。


「ガープを出しなさい」


 まだ私の部分が冷静に交渉を試みる。アスタロトに僅かに残った理性だった。魔王に逆らう者は皆殺しにしても構わない。だが……モレクの献身に免じて、罪人を差し出す猶予を与えた。


 焦った様子で1匹が報告に走り、もう1匹が声にならない振動で仲間を呼ぶ。直後、その声は握りつぶされた。アスタロトの魔力のこごった輪が、喉を鳴らした龍を締め上げる。


「聞こえないと思ったのか? 蝙蝠の耳はお前らが思うより優れているぞ」


 眷属である蝙蝠の聴覚、嗅覚は異常に優れている。他の種族の追随を許さぬ聴覚は、シェンロンの発した超音波を捉えた。これは敵対行為だ。容赦なく縛る魔力が呼吸を奪い、空中でのたうつ巨体がぐたりと動かなくなる。それを無造作に投げ捨てた。


「どうやら差し出す気はないようだ。モレクの功績を思っての温情だが、無にしたのはお前達だぞ」


「大公殿下! 理由を」


「魔王陛下への反逆罪、庇い立てすれば赤子まで滅ぼす」


 最後に生まれた子は幾つだったか? そう尋ねるアスタロトの本気に気付き、残った龍は覚悟を決めた。仲間であろうと差し出すしかないのだ。結束が固い神龍族だが、全員を犠牲にして犯罪者を守ることはない。これはモレクが弟を断罪した時と同じ。一族を守り、出来るだけ長く存続し、滅びの時を遅らせるのが使命だった。


「ガープを連れてまいりますので、屋敷にてお待ちを」


「いや、ここで待とう」


 赤い瞳をぎらぎらと輝かせ、アスタロトは空中に無造作に腰掛けた。神龍の山谷が見渡せる位置で待つ、それは逃す可能性を指摘する行為だ。ルシファーなら妥協して屋敷に移動しただろう。だが、俺が従う理由はない。


 アスタロトが示した不信感は、先程の仲間を呼び寄せる龍の行いが原因だった。気づいているため、周囲を舞う神龍達は何も言えない。やがて足元の洞窟がひとつ騒がしくなり、灰色に近い色の龍が飛び出した。追い立てるのは、赤や黄色の龍達だ。


 灰色の龍を目にするなり、アスタロトの口角が持ち上がる。羽を広げて立ち上がると、見つけたガープ目指して急降下した。頭上から迫る脅威に気づいて防御するも遅く、ガープは弾かれて山肌に体を叩きつけられた。


「これは貰っていくぞ」


 頭を下げる他の神龍に見送られ、アスタロトは意識のないガープの尻尾を掴んで転移した。大公の姿が消えると、黄色い神龍が溜め息を吐く。


「参ったな、またうちから犯罪者か」


「抑えてくださったモレク様の不在は大きい」


「だが、膿は出し切ったんじゃないか?」


 これ以上犯罪に手を染めていそうな神龍はいない。その呟きに救われたように、龍達は崩れた山肌を修復し始めた。

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