386. 求められる立場と役目

 飴細工を手にした少女達を連れて歩くルシファーが、視線を足元のヤンへ向けた。本来の大きさだと街中を同行できないヤンは、ルシファーの腰高程度の大型犬サイズだ。ぴくぴくと耳を動かしていたヤンが鼻のあたりに皺を寄せた。


 彼も気づいたらしい。森の中と違い、人工的な香料が多い街中ではヤンの匂いに関する感知能力は落ちる。それでもルシファーと時間差なく敵に気づいたのは、魔狼の最上種である灰色魔狼フェンリルだからだろう。


「ヤン、をやろうか?」


「ありがたい申し出ながら、我はにございます」


 事前に決めていた合言葉に反応した少女達が、首にかけたペンダントの水晶を握る。次のキーワードが聞こえたら、すぐにでも結界を作動させる約束だった。


「イポスも何か食べるか?」


「いえ……護衛任務中でございます」


「余の護衛は誰も彼も頭が固い。ならばで食べようか」


 少し先にある屋台を指さして振り返ったルシファーの表情は笑顔だが、銀色の瞳は笑っていなかった。最後のキーワードを耳にしたルーサルカが、一番最初に結界を作動させる。続いてルーシア、レライエ、シトリーの順で水晶に魔力を流した。


 イポスは当初から張っていた結界を強化し、立ち止まったルシファーの足元から下がったヤンを一緒に包み込む。直後にルシファーは無造作に右手を頭の上に掲げて、振り下ろした。


 パシン! 弾かれたのは風の矢だ。見えない透明の矢が、地面に穴を穿つ。それに目を向けたルシファーの斜め後ろから飛んできた炎が、ぶわっと魔王の全身を覆った。しかしルシファーは平然としている。燃える炎を宥めるように右手を翳すと、温度を操って支配権を奪った炎を消滅させた。


 翼を広げるまでもない。予想よりレベルの低い攻撃に、内心で首をかしげる。右手を握って消した炎に、リリスは目を輝かせた。興奮した様子で身体を揺するリリスが「あうぁ!!」と声をあげる。


「どうした、リリス。炎が気に入ったか?」


「だぁ!!」


 次の攻撃は槍だった。空から叩きつける槍の穂先がまっすぐにルシファーへ向かい、ひらりと振った右手に弾かれる。その槍が地面に落ちる前に、ヤンが飛び掛かって叩き折った。先ほどの大型犬サイズより大きくなった狼は、ルシファーの身長より少し高い。


「我が君、露払いを」


「払うほどの攻撃じゃないが、任せよう」


 ヤンに許可を与えると嬉しそうにフェンリルが尻尾を振った。そのまま少し先に感じる魔力の主へ向けて駆けていく。途中の屋台がいくつかヤンに吹き飛ばされたのを見て、ルシファーが溜め息をついた。


「あれは弁償問題になる……アスタロトに叱られるぞ」


 経費で落ちるか心配するルシファーの前へ進み出たシトリーが、膝をついて一礼した。


「あの、私達も戦いに参加したいのですが」


「それは許可できない。今回は囮までの約束だ」


 彼女らの実力は疑わない。魔王妃の側近を誇る実力はあるし、この程度の敵に後れを取るとも思わなかった。ただ彼女らは親から預かった未成年者だ。ある程度の経験を積ませることは必要だが、危険に晒す理由にはならなかった。


「ですが、リリス様の盾になることが私たちの役目です」


 レライエも食い下がる。リリスが小さな赤子に戻ったことに、彼女らが自分を責めて後悔しているのは知っていた。だからしばらく遠ざけたのだ。赤子の姿を見るたびに苦しむなら、彼女らの解任も視野に入れていた。


 リリスがいつ元に戻るのか。そもそも記憶が存在するのか。何もわからない状態で、周囲が不安定になれば赤子の成長に影響が出かねない。ルシファーにとって優先すべきは『リリス』であり、少女達ではないのだから。


 がうううっ、唸る狼の声に重なって悲鳴が聞こえた。大した時間を待つことなく、ヤンが意気揚々と獲物を引きずって帰ってくる。捕獲した犯人は、獣人系2人と鱗がある種族が1人だった。ぐったりしているが出血はなさそうだ。


「我が君、お待たせいたしました」


「ご苦労さん」


 労わられたヤンが再び、大型犬サイズになる。嬉しそうに頭や鼻先を撫でられる姿は、森の獣王だった巨大狼には見えない。


 ルシファーの斜め後ろに控えるイポスは一言も発しないが、複雑な感情に緑の瞳を揺らした。護衛の騎士としての役目を心得るから、彼女は常に余計な声を出さず空気のように控える。主であるリリスにとって気がかりとなる存在ならば、今頃イポスは護衛の任を解かれていただろう。


 いざとなれば盾になれる位置に存在し、危険の兆候に目を配る。しかし主人の行動を妨げたり遮る権利はないのだ。若い少女達は『側近』として選ばれた。イポスと違う立ち位置ながら、彼女らに求められる役目があるのに。


「盾になるのが役目か……その程度の覚悟でを名乗るのであれば、そなたらは相応しいと言えぬ」


 息を飲んだ少女達をぐるりと見回し、感情を削ぎ落した美貌の主は静かに続けた。


「余の言葉の意味を噛みしめ、よく考えるがよい」

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