1262. 知らない者が一番強い

 じっと見つめて、このイグアナが話したと認識していいのか考えていると……再び、白い個体が口を開いた。


「なんだい、話したらおかしいのかい? 話しかけたのはそっちだろう」


「失礼した。話せたらいいなと思って声をかけたが……気分を害したなら謝ろう。馬鹿にしたわけではない」


 丁寧に誤解を解くルシファーの横で、リリスがにっこり笑う。


「そんならいいんだよ」


 ぷいっと横を向いたイグアナは、それ以上突っかかってくる様子はなかった。他のイグアナが譲ってくれた池で、のんびりと手足を広げている。


「寛いでいるところ申し訳ない。池の深さや温度について意見をもらえるか? 出来るだけ快適に過ごしてもらいたいので、指示してもらえたら用意しよう」


 しゃがみこんで視線を合わせるルシファーの態度に気を良くしたのか。白っぽいイグアナはびたんと尻尾で池の表面を叩いた。


「そうだね。深さも広さもこの程度でいいね。もう少し泥が多い方が好きだ」


「泥か、すぐに用意する」


 幾つか魔法陣を弄っていたが、池の上に重ねて発動させた。池の水がどろりと濁って泥池になる。


「どこから持ってきたの?」


「リザードマンの沼だ。あの地は良質の泥が取れるからな」


 リリスの疑問に、肩をすくめて答える。ルシファーは興味がないので使わないが、ドワーフの奥さん達が泥パックに使うと聞いた。ここ数十年のブームらしい。話だけは聞いていたので、思い出して取り寄せてみたのだ。リザードマンの長ボティスに、事後清算だが支払いをしておこう。


「ルシファー様、招集をかけておいて何を……」


「ああ、アスタロト。いいところに来た。悪いがこの泥の料金を精算しておいてくれるか?」


「それは構いませんが、イグアナは泥が好きなのですか」


「好きで悪いかい」


 ムッとした口調でイグアナが反論する。目を見開いたアスタロトの表情が笑顔になった。それはもう輝かんばかりの麗しい笑みだ。リリスの手を掴んだルシファーが一歩下がった。様子を窺いながら、さらに一歩、また一歩。


「ルシファー様、動かないでください。目の端で動く獲物は襲いたくなります」


 上司で主君なのに、獲物扱いされてびくりと肩を揺らす。このアスタロトは悪いアスタロトで、逆らわない方がいい。本能が囁くまま、がくがくとルシファーは頷いた。リリスを抱き寄せて、その場で彫像のように動かなくなる。


「まさかとは思いますが、今の口調で我らの主君である魔王陛下に失礼を働いたり……していませんよね?」


 途中で言葉を切るな、意味ありげで怖いぞ。ルシファーの無言の抗議をさらりと流し、アスタロトは泥で汚れた大地に平然と屈み込んだ。服の裾に泥がついても気にしない。浮かんだ仮面のような笑みは、恐ろしいほど綺麗だ。


「だったら何さ、殺すって? そんな脅しにゃ乗らないよ」


「嫌ですね。誤解があるようです。私は魔族どころか言葉の通じない魔物相手でも、礼儀正しければ相応に扱いますよ。礼儀を知らなければ教えるだけです」


 白っぽい個体がぐわっと口を開いて威嚇する。鋭い爪と牙を見せつけ、あっちへ行けと追い払う所作を見せた。口角をさらに上げて笑うアスタロトが、応じるように爪を伸ばした。以前にも使った武器だが、今回は15センチ前後だった。


 さすがに言葉の通じる魔族相手に、いきなり剣で襲い掛かることはやめたらしい。これ以上煽るなよ、そう思いながらルシファーは恐る恐る取りなしに入った。


「アスタロト、もう会議の時間だから行こう。イグアナもゆっくり休んでいるのだし……」


「「邪魔するな(しないでください)」」


 ぴしゃんと1人と1匹に叱られ、ルシファーは別の側近の召喚に踏み切った。


「ベール、悪いが止めてくれ」

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