5章 勇者は突然に! 来なくていいのにね

62. プールはお風呂じゃないぞ

 暑い日差しの中、魔王城の中庭をすっぽんぽんの幼女が駆けていく。その後ろを、タオルを持った侍女が追いかけていた。可愛らしい顔立ちと白い肌、赤い瞳が印象的だ。魔族には珍しい黒髪は濡れていた。


「お待ちください、リリス様」


 必死で追いかける侍女達が回りこんでタオルで捕まえると、3歳の幼女は嬉しそうに笑った。はしゃいでいる彼女が、被さる影に気付いて顔をあげる。大きな翼を広げた魔王の姿に、リリスは大喜びで手を伸ばした。


 右手首に金、左手首に白い飾りが揺れている。以前にアスタロトとルシファーが与えた髪を使った御守りだった。


「パパ! こっち」


 侍女がルシファーに気付き一様に膝をついたため、手を上に上げたリリスのタオルが落ちそうになる。慌てて侍女の一人がタオルを押さえた。


「どうした、また皆を困らせたのか?」


 領地の見回りから帰ったルシファーは、ベール達が待つ謁見の間へ向かわずに中庭に下りた。養い子として育て始めて3年目、未だに絶賛甘やかし中である。溺愛が過ぎて、魔王陛下はロリコンだと国中の噂だった。もっとも彼が否定しないため、噂はさらに拡散していくのだが。


「申し訳ありません、陛下。水浴び用プールに入っていたのですが……」


 侍女が申し訳なさそうに告げる。確かに庭の片隅、木陰に小さなプールが置かれていた。水跡が続いているので、彼女がプールから脱走したのは間違いない。問題は――。


「どうして裸なんだ? リリス」


 心当たりがあるだろうリリスに直接尋ねる。苦笑いする侍女はアスタロトと同じ一族の出身で、確かアデーレという名だった。行儀見習いで魔王城の侍女となったアデーレだが、リリスと相性が良いため専属として働いている。


 手を伸ばしてアデーレの手からタオルごとリリスを受け取ると、軽々と抱き上げる。水浴びをしていたリリスの肌は、まだしっとり濡れて冷たかった。


「あのね、ぽーんってなった」


 脱ぐ仕草をするリリスの説明に、事情が掴めたルシファーがくすくす笑い出す。先日プールに入るから薄手のワンピースを用意してやったのだが、本人はお風呂と区別がつかなかった。裸で入るお風呂と同じ感覚で、脱いだらしい。


 ぽーんとのではなく、ぽーんとの表現が正しいだろう。


「リリス、お風呂とは違うんだぞ。ここは野獣が通る中庭なんだから、可愛いリリスは食べられちゃうぞ」


 脅したルシファーの背後を「申し訳ございません」と恐縮して通り過ぎた数名は、ふさふさの毛皮をもつ魔獣族だった。どうやら自分達の話だと思ったようだ。


「悪い、そういう意味じゃない。ケダモノ的な使い方だった」


 真顔で詫びるルシファーの頬を、リリスの小さな手がぎゅっと抓る。


「いひゃいぞ、りりふ…」


「ダメ、パパが悪い」


 微笑ましい状況に吹き出した魔獣族の青年が「大丈夫です。お気になさらず」と手を振った。振り返すため、リリスの手が頬から離れた。拗ねたルシファーは右手で頬を擦る。


「結構痛かった」


「とんでけぇ」


 最近覚えたお呪いを施して、リリスがちゅっと赤くなった頬に唇を押し当てる。


「ありがとう、リリス。治ったぞ」


 機嫌の直ったルシファーがひょいっと空中から服を取り出した。白いシンプルなワンピースは、リリスがお気に入りの夜着だ。


 ここ数ヶ月で自己主張が激しくなったリリスは、お気に入りの服を何度も着たがる。以前は毎日違う服を着せていたルシファーだが、泣きながら前日着用したワンピースを着たいと駄々を捏ねるリリスに根負けし、本人の好む服を着せるようになった。


 ウエスト部分と首もとの襟に水色のリボンが縫いとめられている。部屋から転移させたワンピースを、空中に浮かせて広げた。


「リリス、ばんざーいして」


 言われるまま両手を上に上げるリリスに、器用にワンピースを被せた。タオルを下から引き抜いて着替えさせると、アデーレに預ける。


「パパはお仕事片付けてくる。お部屋でお茶するから、用意してくれるか?」


「わかった」


 可愛い返事に後ろ髪を引かれつつ、ルシファーは謁見の間へ向かった。

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