63. お茶会はもふもふソファーで

 領地の見回りで気になった点をいくつか指示したあと、足早に自室へ向かう。広い魔王城の中で自室と謁見の間は近いほうだが、それでも走らずに歩くと遠く感じられた。


「くそっ、城内での転移禁止魔法陣を書き直すか」


「警備に支障が出ますから、おやめください」


 警備上の理由で魔王城の中は転移が出来ない。城の地盤に刻んだ魔法陣は、この城が存在する7万年前から地脈の魔力を利用してきた。自分だけでも転移できるように書き直そうと考えるルシファーの後ろを、涼しい顔で続くアスタロトが諫める。


 止めないと本当にやりかねない。そう滲ませた側近の声に「いや、考えただけだ」と言い訳してしまうのは、彼の声が思いのほか冷たかったためだ。


「リリス嬢とお約束ですか?」


「そうだ。一緒にお茶を飲む」


「さきほど中庭に降りられたのは、リリス嬢がいらしたからですね」


 呆れ顔のアスタロトは、以前より小言が減っていた。リリスと過ごす時間を減らされないよう、ルシファーが積極的に仕事をこなすためだ。気まぐれで飽きやすい代名詞として城内で有名な魔王は、未だに人族の養い子に夢中だった。


「明日リリス嬢はお休みでしたね。陛下も視察でお疲れでしょう? 明日まで休みにしておきます」


「いいのか?」


 思わず急いでいた足を止めて振り返る。純白の髪がさらりと揺れた。嬉しさ半分、驚き半分のルシファーが銀の瞳を細めて笑う。


「悪いが頼む。少し寂しい思いをさせたし、明日は一緒にいてやりたい」


「かしこまりました」


 そこで足を止めたアスタロトを残し、ルシファーは浮かれた足取りで自室の扉を開いた。広すぎて個人の私室に見えないが、豪華な部屋には……なぜか灰色の毛玉がいる。部屋の大きさに相応しい毛皮はもぞもぞ動き、ひょいっと顔を覗かせた。


「我が君、お戻りですか」


「ああ、リリスはこっちかな?」

 

 大木ほどの太さがある尻尾を無造作に持ち上げると、隠れていたリリスが「ばあ」と飛び出してきた。


「うわっ、びっくりした」


 おどけてみせて、愛娘を受け止める。抱っこしてテラスの前に用意されたテーブルに向かった。心得た侍女達は準備を済ませて部屋を退出する。一緒に出て行こうとしたヤンを、リリスが引き止めた。


「パパぁ、ヤンも一緒がいい」


「そうだな、こっちに来い」


 穏やかに手招きするルシファーに逆らえないヤンは、匍匐前進ほふくぜんしんで近づいた。息子に群れを譲ってから、彼はリリスの良い遊び相手になっている。特にルシファーが仕事で城を離れる際は、リリスの警護も担当した。


 テーブルにぶつからない位置で、器用にくるんと丸くなったヤンの喉を撫でてやる。鼻を鳴らすヤンを見て、対抗するようにリリスも眉間を何度もなでた。優しく撫でることを覚えたリリスの小さな手が、ふかふかの毛皮に埋もれる。


「寄りかかるぞ」


 声をかけてからヤンの上に座って、リリスを膝に乗せる。大人しく座ったリリスが目の前のテーブルに置かれたお菓子を掴んだ。ソファ代わりにされることに慣れたヤンは、器用に高さを合わせて気遣ってくれる。がしがしと首筋をかいたルシファーの口元にお菓子が差し出された。


「パパ、あーん」


 以前は「ん」の発音が出来なかったリリスの成長に目を細めながら、促されるまま口をあける。小さなクッキーを食べさせたリリスは、首をかしげて待った。


「うん、リリスがくれると美味しいな」


 嬉しそうに頬を緩めたリリスがまたお菓子を掴む。今度はひとつではなく、両手で掬うようにして皿から菓子を集めた。膝の上で立ち上がるようにして、少し上にあるヤンの口元に差し出す。


「ヤンも、あーん」


 リリスが丸ごと飲み込まれそうな大きな口が開き、その中にお菓子をざらりと置いた。ぱくんと閉じられた口が動き、ごくりと飲みこまれる。


「ありがとうございます、リリス様」


「じゃあ、次はリリスだな。あーん」


 普段からヤンにも菓子を与えるため、大量に用意された菓子をひとつ選ぶ。リリスの近頃のお気に入りである、苺ジャムが塗られた花型クッキーだ。


「あ~ん」


 繰り返してぱくりと食べたリリスが、ルシファーの指に付いたジャムも舐め取った。無邪気にまたお菓子を頬張ってお茶を飲むリリスの黒髪を結んでやりながら、魔王という恐怖の名称に似合わぬ穏やかさで微笑む。


 テラスから吹く初夏の風は、季節はずれの涼しいものだった。ルシファーが結んだ黒いポニーテールを風が揺らす。


「魔王城も平和だし、リリスは可愛いし……幸せだな」


 不吉なフラグになると知らぬまま、ルシファーは美貌を柔らかな笑みに溶かして呟いた。

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