813. 効果抜群のジョーカー

「お義父様」


 左手のひらに刻み付けた魔法陣に魔力を流す。魔法陣がじわりと熱を帯び、召喚の響きを帯びた小さな呟きの直後、強烈な風が吹いて炎を吹き消した。ルーシアの作った氷の壁をすり抜ける風の原理は不明だが、ルシファーがいれば「器用だな」と呆れただろう。ルーシアの魔力に干渉したのだ。


 体内や表皮にまとう魔力に干渉されると対象者に痛みが走るが、すでに手を離れて魔法の形をとった魔力は影響なかった。そのため簡単に干渉して魔法を消滅させることも可能だ。だが、この技術は意外と繊細な魔力制御能力を必要とするため、誰でも出来るという類でもない。


「……もっと早く呼びなさい」


 本当に来てくれた。淡い金髪を風に揺らすアスタロト大公の整った顔は、怒りを滲ませる。召喚の響きに応じてみれば、娘が攻撃を受けていた。あと少しでルーシアの魔力が切れて、炎に炙られるところだったのだ。


 こんな危機的状況になる前に、早く呼べばいい。舌打ちしたい気分で吐き出した直後、言葉選びに失敗したと唇を噛んだ。いくらなんでも言葉がキツい。


「すみません。きつい言い方をしました」


「あの、来てくれてありがとうございます」


 ぎこちない父娘の不器用なやり取りをよそに、ルーシアがほっと息をつく。正直なところ、あと少し遅かったら炎を防げずにケガをしていた。アスタロトの放った魔力は結界の形を成し、美しい六角形のガラスが並んだような防御壁を築く。相手が再び放った炎が、表面を撫でてもびくともしない。


 青白い最高温度の炎であっても、魔力量が違いすぎた。扱う大公アスタロトの魔力量を凌ぐ人物は、数少ない。世界でもっとも魔力量の豊富な純白の魔王は、召喚された側近の魔力をたどって追いかけていた。ぶつかりそうになったルーシアに詫びる。


「ああ、すまない」


 目を見開いて「いいえ」と首を横に振った途端、緊迫した糸が切れたように膝から崩れる。手を伸ばしたルシファーより、飛び出したリリスの方が早かった。膝をつきそうになったルーシアを、細い少女の腕が抱き留める。


「怖かったわね」


「ありがとう、ございます、あっ」


 アスタロトの結界が張られた正面以外の方角からも、炎が飛んできた。こちらは温度が低いのか、オレンジ色の鮮やかな炎だ。ぶわっと炎が近づくが、リリスの背中で弾けて消えた。


「心配いらないわ、ルシファーが一緒だもの」


「当然だ」


 肩を竦めたリリスは、世界で最も強固な結界に守られて笑う。魔王ルシファーが、最愛の魔王妃リリスのために張った結界だ。どんな攻撃も防ぐだろう。


「これで安心だな」


 イザヤが肩から力を抜く。アベルも同様に剣を一度地面に立てた。魔王がいる場所で、緊迫した状態を保つ必要はないだろう。最強の結界が張られた場所で、彼らは互いの無事を確認した。アミーはしがみついたルーサルカの腕から下りようとせず、ぶるぶると震えている。


「少し見せてみろ」


 ルシファーが手を伸ばし、首輪を撫でてから指先で摘まんだ。その先に小さな魔法文字を描いたと思ったら、ぱちんと音を立てて首輪が外れる。


「珍しい魔術が使われていた。ルキフェルへ土産にしよう」


 良い物を得たとご機嫌で亜空間の収納へ放り込む。


「敵は私が排除します」


「任せる」


 影に潜って移動したアスタロトが、向こうの茂みで何をしたのか。悲鳴だけで充分に惨劇が想像できる状況だった。響く悲鳴と嘆願の声に、アミーが怯えて「きゅーん」と鼻を鳴らした。大丈夫よ、たぶん……と曖昧な慰め方をするルーサルカだが、茂みの向こうは見れない。


「八つ当たりだな」


 大人げない奴だと苦笑するルシファーは、漂う血の臭いを誤魔化すように新しい結界を張った。

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