147. あれは……やめよう
「陛下、いま私に攻撃しませんでしたか?」
「いや……してない、はず」
言い切れなかったのは、サーペントを切り裂いた刃のとばっちりらしき切り傷ゆえだ。ベールの衣の一部が切れている。どうやら彼の結界を通過し、落ちた威力で衣を裂いたらしい。
「悪かった。本当にごめん」
幼い頃から面倒を見てもらった過去があるため、強く出られないルシファーが素直に謝る。溜め息をついたベールは、低姿勢の魔王に言い聞かせた。
「いいですか? 私だから良かったですが、万が一にもルキフェルを傷つけていたら」
そこで意味深に言葉を切られ、恐る恐るベールの顔を見たルシファーが悲鳴をあげる。
「うわっ」
「生まれたことを後悔させますよ」
こくこくと頷いたルシファーに満足したのか、ベールはそれ以上追及しなかった。もぞもぞ動いたリリスがベールを見送り、こっそり耳元で囁いた。
「パパ、ベルちゃん怖いね」
「べ、ベルちゃん?」
驚きすぎて素っ頓狂な声を上げるルシファーに、リリスは幼子特有の残酷なまでの素直さで頷いた。
「うん、お菓子くれるベルちゃん」
へえ、知らないところでお菓子くれてたんだ。ちらりと視線を向けると、バラされて動揺してるくせに誤魔化そうとするベールがいた。
知らない場所でリリスを手懐けていたとは……油断ならない。ショタコンかと思ったら、ロリコンもいけるのだな。不名誉な称号を増やされているとも知らず、ベールはいそいそと距離を取った。もちろん、返り血で真っ赤に染まったルキフェルを連れて。
「餌付けしたのですか。道理でベールがくると喜ぶはずです」
執務室でルシファーが仕事をしているとき、ソファで大人しく遊んでいたリリスが、書類を運ぶベールに笑顔で手を振る姿を目撃したアスタロトは「疑問が解けました」とすっきりした顔を見せる。
仮にも王妃候補として立后したリリスに『餌付け』表現はどうだろう。そんなルシファーの疑問は、賢明なことに言葉に出されることはなかった。おそらく尋ねていたら、ワイバーン以外の血の雨が降ったと思われる。
いつも通り微笑んだ美貌の側近は、白い肌に飛んだ返り血に気付いて眉をひそめた。袖で血を拭い、真っ赤に染まった大地を眺める。ワイバーンの欠片がいくつも落ちているが、完全な死体はない。ベールの魔法陣が機能している証拠だった。
そう、ベールの魔法陣はきちんと機能している。この場にいる魔物すべてに……。
「パパ、あれ欲しい。捕まえて!」
肩書きが娘から嫁に変わったリリスのお
「どれだ?」
「あれ!」
彼女の指差した先には、輪切りにしたはずの蛇……もとい、サーペントが復活していた。首を切られても即死じゃなかったらしい。爬虫類の生命力を舐めていた魔王が顔を引きつらせて飛び退る。
「やあ、あれ捕まえるのぉ!」
幼いリリスの目に、色鮮やかな蛇はどう映っているのか。きっとカラフルな紐が歩いている程度の感覚だろう。大好きなパパに捕まえてくれるよう頼んだのに、なぜか飛び退って離れるので不満顔だった。
「あれは……やめよう」
「やだ」
「噛まれると大変だぞ」(主に毒の分離が)
「捕まえるんだもん」
唇を尖らせたリリスは、地団太を踏むように腕の中で暴れた。落とすことはないが、暴れた手足がルシファーを軽く殴る形となり、困った魔王の眉尻がさがる。
サーペントに近づきたくないが、リリスは欲しがる。即死させないと復活するから……どうやって殺すかも問題だった。首を切ってもすぐは死なないから、頭を潰すか? でもぐちゃぐちゃの死体にしたら、リリスが嫌がるだろう。
迷う間にサーペントが距離を詰めてくる。
「うぎゃぁっ!」
飛び上がって攻撃するサーペントに、魔王はらしからぬ悲鳴を上げて逃げ回った。
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