1042. 危険手当は妥当だった
魔の森絡みでトラブルがあったらしい。上層部が騒いでいる。噂に近い話を聞きながら、イザヤは整理した書類を運んでいた。
噂を聞きつけてきたのは、文官仲間のケットシーだ。実家が靴づくりで有名らしく、リリス姫のお披露目の靴を作ったのは両親だと自慢げに語られた。いずれ実家を継ぐのだが、人脈作りで魔王城に勤めたらしい。
「数年以内に食べ物がなくなったら、俺らはどうすりゃいいんだろ」
噂を丸呑みに信じる同僚に、イザヤはけろりと言い返した。
「数年もあるなら、あの魔王陛下が何もせず手をこまねく筈がない。4人の大公様もいらっしゃるんだ。心配する必要を感じないが」
「だってよぉ」
「その噂話が城の外へ流れたら、きっときつく叱られるぞ」
誰にとは言わないが……某吸血鬼王が文官のトップだ。さぞ怖い思いをするだろうな。ちらりと匂わせた口止めは効果抜群だった。ケットシーの毛が逆立ち、大慌てで首を横に振る。
「何も言わない」
「……そのほうがいい」
イザヤは肩を使って扉を押し、書類を予定の場所に積んだ。指示されたのは、ベルゼビュートの執務室だ。机の脇にある大きな箱は、すでに書類が大量に詰められていた。
手付かずに見えるが、計算に関しては速さも処理能力も一流らしい。特に金額の付き合わせや申請の齟齬を発見する能力は、あのアスタロトも認めたほどだ。無造作に机の上に積み、箱の中を確認すると処理済みだった。
「これは持ち帰るぞ」
「ああ。って、こっちを研究所へ運んでくれ。その箱は俺がやるよ」
ケットシーが思い出したように、書類の一部を手渡した。大した量ではないが、何かの承認証だ。重要度や緊急性が高いかもしれない。
「わかった」
受け取ってイザヤは研究所へ向かった。文官は、研究所への書類配達を嫌う。偶発的な爆発事故に巻き込まれるため、危険なのだとか。そのため研究所への書類配達は、危険手当が上乗せされるのが通例だった。
危険手当をもらうこと12回、イザヤはまだ爆発事故に遭遇していない強運の持ち主だ。その運の良さから、同僚はイザヤに研究所配達をお願いする。彼にとっても同じ配達仕事で手当がもらえるならと、快く引き受けてきた。
研究所の扉を開くと、中から数人が飛び出してくる。紙束を頭上にあげて避けるイザヤに、ルキフェルが叫んだ。
「外へ出てっ!」
爆発するぞ。叫びながら逃げる青年を見送ったイザヤは、書類をジャケットの中に押し込んで走り出した。爆発するって言わなかったか? 焦るが、運動神経のいいイザヤは足の遅い小柄な子供を拾い上げ、一気に廊下を駆け抜ける。その勢いのまま、シェルターとして作られた結界付きの壁の裏に滑り込んだ。
どんっ! 激しい音がして、ねっとりした何かが飛んできた。この場にアベルがいたら「スライムか」と大喜びしただろう。だが残念ながら、スライムではなかった。
「甘い匂いがする」
眉を顰め、助けた子供を立たせる。すぐに母親らしき女性の声に駆け寄り、親が頭を下げて感謝しながら避難した。それにしても何を爆発させたのか、辺り一面に甘い香りが充満している。これはバニラ系か?
妹のアンナが作る菓子に使われる香料を思い浮かべながら、イザヤは溜め息を吐いた。
「プリンだぁ!!」
後ろから走ってきた青い鳥が、壊れた研究所へ飛び込む。中で何かを破壊する音が聞こえた。
「ちょっ! ピヨ、邪魔しないで」
まだ雛らしいが、雉の成鳥より大きなピヨが吹き飛ばされた。ルキフェルの怒りの声が聞こえたので、飛ばしたのは彼だろう。すると今度は鳳凰が現れて、ピヨを受け止めた。空中キャッチして背中に跳ね上げる作業は慣れを感じさせる。
「ルキフェル様、ピヨに乱暴しないでください」
「僕の研究材料を齧っておいて、何言ってんの!? 焼き鳥にするよ!!」
言葉通り、複数の火の玉が鳳凰に向かった。だが鳳凰に火の魔法を使っても効果は得られない。追い払う目的だった。
「ったく、あの雛の食い意地は……あれ? 見間違いかと思ったけど、やっぱりイザヤだね。久しぶり」
ムッとした顔から一転、ルキフェルは機嫌よく手を振った。反射的に振り返し、慌てて手元の書類を確認して手渡す。
「ああ、承認の書類だね。もう実験終わったからいらないや」
けらっと笑って書類を収納空間へ放り込んだルキフェルは、帰ろうとしたイザヤの腕を掴んだ。
「ちょっと協力してよ。妹も一緒に」
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